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論文でやっては行けない5つの事…M2を迎えて

筑波大学の社会人大学院での生活も、無事2年目を迎える事が出来ました。修了に必要な単位は何とか取り切りましたので、後は修士論文のための研究に力を注ぐのみです。

さて、修士論文というのは修士号を取るためには避けては通れない道でして、あと1年以内に普段書き慣れていない学術論文を認めなければなりません。そのため、多くの修士課程・博士前期課程の人は担当いただいている指導教授からあれこれ指導が入っているはずです。僕もその一人です。

■学生の論文は指導教授と一体である

書く以上は学術的にも価値が高いものを書きたいわけです。そこで、情報処理学会をはじめとした学術系の研究会に足を運び、他の方の論文と発表を見に行くようにしています。いわゆる敵陣視察、ですね。この中には、「なるほど!」と伝わる素晴らしい論文から「えっ?」と思う不思議な論文まで、いろいろあります。

さて、企業の研究所や大学教授の方が書かれる論文とともに発表されるのが、私のように修士課程・博士課程にいる学生さんの研究発表です。発表を聞いていて感じたのが、どうやら学生さんの発表には指導教授の指導状況も同時に見られているということです。いい発表であれば「さすが○○先生の学生は素晴らしい」となりますし、逆に問題があると「あの人の指導教授は誰だ?」となります。

自分がきちんと恥ずかしくない研究をやらなければ、自分ばかりでなくお世話になった指導教授の体面も汚してしまうかもしれないのです。これは大変な事だと気づきました。

■僕が見た「これはやってはいけない」研究発表

M2で行う研究活動に対する自分への喝入れをこめて、研究発表で「これはやってはいけない」と感じたことをまとめてみます。以下は僕は情報系の人である事を前提においていただき、他分野だとひょっとしたら違う事もあるかもしれないことを念頭に置いてください。また、研究の専門家から見たら他にもポイントがあるかと思いますが、社会人大学院生の観点と言う事でお読みいただけましたら幸いです。

1. リサーチクエスチョンの範囲が広すぎる

これは社会人大学院生に多く見受けられるパターンです。私も含めて、です。仕事は幅広く事に当たり、問題を逐次解決して行く事が少なくありません。しかし、研究は違います。自分の研究成果を論理的な裏付けを持って発表するには、分野を絞る必要があります。広すぎると、どのような研究を行ったのか専門家にさえも伝えづらい状況が出ます。ましてや、自分自身の実験のためのデータを集める際の時間が足らなくなります。自分が設定したリサーチクエスチョンとは?本当に追求したい事は何なのか、何故追求したいのか、そして何を価値提供できるのか、充分検討する必要があります。

2. 既に研究された分野について発表している

学術論文を書く際に必ず行う作業として「サーベイ」があります。論文や文献をあたり、既存研究の調査を行い、自分が行う研究に役立てたり、逆に批判を行えるよう理論武装する事もあります。しかし、サーベイが足りませんと他の誰かと同じ研究をしてしまう恐れがあります。これでは、研究に大切な先見性が失われてしまい、研究成果が意味をなさないものとなります。

また、学会の研究会に足を運ぶ人たちの多くは、研究の専門家です。大抵、自分自身と近い分野の論文や文献をサーベイしていて、過去から現在にかけてどのような研究の歴史があり、今のトレンドを把握されています。そういう人たちに「なるほど」と思わせるのは、なかなか一筋縄では行かない事がわかります。

3. サーベイした論文との差別化がうまく出来ていない

2番に近いのですが、これはサーベイしている前提での話です。既存研究よりも「私は新しい事を発表している!」と言う場合、どのように差別化しているのかを説明しなければなりません。その際に、うまく説明できずもったいないものもありました。これは、恐らく元々設定していたリサーチクエスチョンが弱いのではと僕は見ています。リサーチクエスチョンが強ければ、研究成果として押し出すものがもっと明確に出来たはずだからです。

4. スライドのページ当たりの行数が多い

こちらは研究の質ではなく発表の話です。どれほど優れた研究成果も、適切に説明できなければ価値をうまく伝える事は出来ません。ここから、発表も大切な研究活動である事がわかります。

さて、私が指導教授から随分と指摘されたのが、発表スライドの作り方です。スライドは、1枚1〜2分程度(発表時間による)、1スライド当たり7行程度に抑えて作成しなさい、と言うのがその内容でした。「えっ、これまで削るの!?」と思うくらい、削ります。社会人ですとスライドを作り慣れている方もいらっしゃるはずですが、学術系はまた違うのです。お世話になっている別の先生からも「斎藤さん、学術系の”マーケット”に沿って作るってのも、大切ですよ。」と言われ、なるほどとぐうの音も出ませんでした。

作成したスライドは最近行われた学内の中間発表で使いまして、聞きにきていた別の教授からは評判が良かったこともあり(その先生は厳しい事で有名)、ホッとしました。

5. 論理的に間違っている

これはいくらなんでもないのでは?と考えた方がいるかもしれません。でも、あります。たまに。実験データの解釈の誤り、作成したプログラムのバグ、そして実験で採用した技術の選択を誤ったがために、研究成果の信憑性を担保する論理が崩壊してしまうのです。

まあここまで間違っていなかったとしても、そこまで言い切れるのかと考えられる程に詰め切れていない実験結果もあります。自分の研究内容から少し外れるなら「ここは対象外」と言えばいいでしょうし、逆にどこを追求したのか明確にしないと、論理的な側面で研究成果を評価していただけないはずです。

■指導をちゃんと受けよう

ここまで書いて、自分自身、よくよく指導教授と話を絶やさずに指導を受け、研究を進めなければならないと痛感しています。また、このように書いた事も、指導教授から「君、ここの詰めが甘い。」や「もうちょっとこうするとうまく行く。」など、直々に話を聞きませんとわからない事が多々あります。よくある How To 等と違い、この記事を読んで書ける程、簡単ではありません。

また、どのように研究成果を認めるかは、研究分野もさることながら、指導教授の流儀も入ってくるものです。ですから「○○教授は××教授のお弟子さんだ」という、まるで子弟関係に注目する会話を聞く事も珍しくありません。そういう縁は修了後もずっとついてくるわけですから、自分自身の論文で恥ずかしい事は出来ません。

情報系、特に自然言語処理に関する研究で、実際の研究室の風景を切り取ったようなブログがあります。「観月橋日記 (旧 生駒日記)」です。まさに研究中の学生さんはぜひ読んでみてください。何か、気づきをもらえるはずです。僕は、このブログを読みながら、自分の胸に手を当てるのであります…。

■よし!あと1年

研究活動には、まずは適切なリサーチクエスチョンの設定、そしてたゆまぬ論文サーベイというところ、なのでしょう。その上で、いい成果が出たら論文発表に至る事が出来ると理解しています。

僕は、これからいよいよ実験に取り組んで行きます。そのための下準備も必要ですし、実験には協力者も必要になります。ですから、簡単に行きそうにはありません。ただ、データが出た以上は面白いものになると、僕はワクワクしているのです。

もし、僕を研究会でお見かけいただいた際は、どうぞお手柔らかにお願い致します。


3.11 から1年 … 身近な幸せを考える

3.11 東日本大震災から1年が過ぎました。みなさま、いかがお過ごしでしたでしょうか。

起業した人、被災地のボランティアにフルタイムで入った人、追われてしまった人、動きが取れなくなってしまった人、そして…僕もそうですが…今まで取り組んでいる仕事に引き続き取り組む人、それぞれいらっしゃいます。そんな中でも、震災前にお会いした多くの人とこの1年で生きて再会できた事が、何よりと思っています。

ただ、一つ言える事は、震災前と「世界」が変わりました。多くの人とお話ししていると、それを「震災前を思い出す事が出来ない」や「エンジンがかかった」や「ガラッと変わった」など、言葉こそ違いますが一人一人が感じていらっしゃいます。では「世界」とは何でしょうか。

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■明日「死ぬ」かも知れない

今年の3月5日に、私の祖父が亡くなりました。91歳でした。70代まで仕事をし、大病をせずいつも元気に過ごし、そしてついこの前の正月も一緒に祖父が大好きな麦焼酎「いいちこ」を一緒に飲んでいた矢先、突然のことでした。心不全…まさに「ぽっくりと」亡くなりました。葬儀には、会場に入りきれない程の方に参列いただきました。

正直、3.11の出来事は自分にはあまりに大きすぎて「死ぬ」ことがよくわからなくなっていました。その中で、身近でいつもそばにいてくれた祖父が亡くなった事実に触れたことで、改めて、人は死ぬ、そしてそれは明日、いや、この今の一瞬なのかもしれないことを現実として捉えられるようになりました。

死と言うのは、とても身近な事なのかもしれません。

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■身近な幸せ考える

僕は、つい最近まで、自分の仕事をを通じて「世界を変えたい」と考えていました。そしてビッグになりたい、と。これは、20代前半に経験した成功体験が後押ししていました。一方で、自分自身の家族・友人・仲間・身近なお客様に対してはどうだったでしょうか。何か大きな事を成し遂げようとするあまり、小さな事だと蔑ろにしていた所があったのかなと、思うようになりました。

これまで、自分自身ではプライドを持って物事にあたってきたつもりですし、今の状態は決して恥ずかしい状態ではないと自信を持っています。ただ、今の状況から更に次へ進めるのか、少しずつ不安が高まっていたのは事実です。同時に、身近な人の幸せに対して心を配れていなかった事に、薄々後ろめたさを感じていました。また、長距離を短距離走のペースで走り続けてきたせいか、30歳になりましてさすがにしんどくなってきました。どこかで無理をしていたのかもしれません。

自分自身の心に何か満たされていない事を感じていたのは、身近な幸せを自分で感じようとしなかった所にあったからだと、思っています。

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■これから

生きて行く上で、これからどうするか。それは、「継続する」事と「身近な人の笑顔を大切にする」をテーマに進みます。

まずは、自分自身の事です。この事については、家族や友人にいろいろ心配をかけ続けてしまいました。自分自身の「継続」と言いますと、多くの人は「身を固める」事だと考えていらっしゃるはずです。恐らく、その多くの人たちと近い価値観で動くつもりです。ただ、こればかりは段取りと言うものはありませんので、無理をせずやって行くようにします。

続いて、大学院です。単位は取り終わり、修士論文の執筆に注力するばかりとなりました。不思議とテーマが「身近な幸せ」に通ずるものがあります。また、科学的にやることで、実務・現実の世界とは違った観点でこれからを見据える事が出来るのではと、考えています。

そして、仕事の事です。大きな事の前に、小さな事からこつこつと。身近な仲間やお客様と、技術者としての責任を伴いつつ楽しく日々を過ごせるよう接して行くようつとめていきます。

継続と死は正反対のことであります。しかし、死した時・破壊された時にその継続が何だったのかがはっきりします。そう思うと、今やっている事は全て積み重なることを意識し、そして 3.11 や故人を偲び、生きる事の大切さを知りました。それが、一人一人の「世界」になって行くのだと私は理解しています。

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僕がチャットが嫌いな理由 そしてVoiceLinkを好きになった理由

■僕はチャットが嫌い

僕は1997年に初めてインターネットに接続してこのかた、チャットが嫌いです。誰と話すのが嫌、という事ではなくチャットで話すのが嫌なのです。

  • 時間を問わず遠慮なく話しかけられるから。
  • 文字情報だと、感情や意図を的確に伝える/受け取るのが難しいから。
  • 記録に残るから。
  • 顕名のようにみえるが素性がわからない。

というのが、理由です。対象となるのは、古くはWebチャット, ICQ, Yahoo! Messenger, IRC, IP Messenger, そしてSkypeでしょうか。ただ、Skype は音声通話をするためのメディアとしても使えるため、その用途に限っては使い続けています。

インターネット上のコミュニケーションでは、文字ベースで行う事が最もコストがかからないことが普及に至る要因の一つなのだとは思います。また、僕の周囲にいるWeb開発に携わる知人は積極的に使っている事でより「普及」しているように感じているところが、悩ましい所です。

とはいえ、インターネット上には幸いに他にもコミュニケーションのためのメディアがあります。

■ソーシャルメディアはどうか

ソーシャルメディアと言えば、 mixi に始まり、今は twitter や Facebook です。僕は基本的にソーシャルメディアが好きで、よく使っています。

  • 時間の拘束性から解放される。
  • 文字ベースではあるけど、特定の誰かに発言する事に縛られない。
  • 記録に残るけど、それは自分のための記録。
  • 顕名かどうかはメディアによるが、過去ログ等から基本は誰かはわかっている。

ソーシャルメディアは、コミュニケーションのためのメディアであるのと同時に、自分自身のためのメディアでもあります。というのも、ソーシャルメディア上に何かを書き込む行為は、コミュニケーション以外の事を目的としている場合が往々にあります。そうです、今の自分の記録を取る行為です。どこにいるとか、何をしているとか、どういう気持ちなのか、等です。 Lifelog という言葉を使っている人もいますが、まさにそういうことです。

ただ、最近は twitter は見てはいますがあまり書き込まなくなりました。というのも、たくさんの人に見られている事がマイナスの方向に働き、思いもしない…それも主張したい部分とは大きく外れた批判を受けたり、僕自身も人に見せて本当にいいのかという会話を繰り広げることがあり、その反省を踏まえてとなります。ですので、メインを Facebook へシフトしています。こちらは友人関係のある人のみにコメントを公開することで、より「人を見る・見られる」ことを意識した襟を正したコミュニケーションが出来るからというのが理由です。また、 twitter 以上に文を打てるため、文字ベースでやり取りする際の意識の齟齬を少しでも和らげる事が出来ます。

とはいえ、文字ベースでやり取りしていることには代わりありません。

■インターネットのメディアを少し離れて…

僕はインターネットを始める前は、アマチュア無線をしていました。中学生の頃に2級(※1)を取ったくらいなので、その入れ込み具合は想像いただけるかと思います。

僕がアマチュア無線がとても好きだった理由は、こう言う所にありました。

  • 実はあまり時間に拘束されない。その時につながった人と話せばよい。
  • 声でやり取りしているので、感情が伝わってくる(※2)。今振り返って思うと。
  • 記録は基本として残らない。ただ、会話は交信している人以外にも聞こえており、記憶に残る。
  • 顕名である。コールサインは個人特定可能かつ総務省が管理している世界で一意のIDである。

インターネット時代のソーシャルメディアと決定的に違うのは、声でやり取りしていた事でした。文字と違って、同じ情報を伝えるにしても声を使う事で情報量が飛躍的に多くする事が出来ました。文字では、喜怒哀楽を伝える事は難しいのですが、声ならとても容易です。楽しい話も、叱られた事も、思い出として心に残す事が出来ます。人には感情が必ずあります。そのやり取りを通じてお互いを知る事が出来るのではないでしょうか。あと、速報性も高いです。

これは、これだけメールやソーシャルメディアが普及した中で、携帯電話の機能として電話の通話が無くならない事がよい例なのではと思います。

ただ、アマチュア無線には最大の問題点がありました。電波が届かないと、通信が出来なかったのです。ですから、電波状況が良い日のみつながるような人もいました。風情はありますが、メディアとしては不完全です。

■そして登場した声を使ったインターネットメディア

僕が最近よく使うインターネットメディアがあります。それは、 VoiceLink です。声でコミュニケーションする、インターネットメディアがようやく出てきました。スクリーンショットをどうぞ。

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VoiceLink の原点は、板倉さんがむかーし昔、1984年に体験した「NTT 世田谷局 ケーブル火災」にあります。受話器をあげると普段つながらない人たちの声が聞こえてきたんだそうです(詳細は「社長失格」pp.8 以降にて/電子版もあります)。でも、僕は板倉さんをはじめとしたSynergy Driveの皆さんが開発したこのサービスにファーストユーザとして招待していただき、初めて使ったその時に思ったのが「あ、これはアマチュア無線の再来だ。」ということでした。

  • あまり時間に拘束されない。その時にログインした人と話せばよい。
  • 声でやり取りしているので、感情が伝わってくる。
  • 記録は基本として残らない(※3)。ただ、会話はログインしていないリスナーにも聞こえており、記憶に残る。
  • 顕名である。本サービス開始時はクレジットカード認証時に本人を特定する。

比較してみても、ほら、アマチュア無線とそっくり。さらに、アマチュア無線でできなかった参加者の「視覚化」も出来るようになりました。それも、とってもインタラクティブに。まだまだ開発途中とのことですが、今の段階でできる面白い事は「”いいね!”は時間軸に対応している」「参加者本人に”いいね!”が出来る」そして「席を自由に移れる」ことです。

僕はアマチュア無線が好きでした。でも、免許が必要だし、電波を発することはものすごくコストがかかって大変でした。でも、 VoiceLink なら、今、手元にある Mac ですぐに参加する事が出来ます。仕事と大学院はありますが、レポートを早く終わらせて何とか時間を作って1週間に1回は参加するのが、僕の楽しみになっています(※4)。

■キーボードを打つという事はリテラシーを高く求められる

キーボードを打てるようになるまでに、皆さんどのくらい時間をかけましたか?ブラインドタッチ、できますか?僕はコンピュータエンジニアなので、やれて当然と言われればそれまでかもしれません。でも、みんながみんなコンピュータの専門家であるはずもありません。

では、キーボードを抜きにして文字だけに話を絞ってみましょう。僕は大学院生ですから論文を書くのですが、その中で「論文指導」があります。論理的な文を書くと言うのは、高等教育機関で講義ばかりでなく教授から直接指導を受けることでスキルが身に付くと言う、非常に難しいものであると言う事なのです。さらに、文筆家をはじめとした文字を通じて演出をする人の能力はこれとは比較にならず、努力や能力を超えて一部の人が天から授けられるセンスの領域に達しています。

ましてや、世界を見るとキーボードどころか識字率が日本程高くない国はごまんとあります(See also: 「統計局ホームページ/世界の統計 第15章 教育・文化」)。こう考えて行くと、文字ベースのコミュニケーションと言うのは難しく、それなりの教育を受けた人が初めて到達できる領域なのです。

そんな中、人がコミュニケーションをするときに使う最も原始的かつ知的な方法が、声によるコミュニケーションです。 VoiceLink は、そういったキーボード、はては文章を書くリテラシを高くは求められず、一方で人とコミュニケーションしたいと言う動機をより単純に用いる事が出来る、今までインターネットにあまり存在しなかったメディアです。文字を書くのが得意ではなくとも、面白い人・尊敬できる人はたくさんいます。そう言う人が、インターネット上で活躍できるようになったら、また新しい世界が開けるのではと僕は想像します。

そして、人の感情を織り込んだコミュニケーションが僕は好きです。とてもシンプルなやりとりで、ガンガンと脳みそがうごめく。そして、お互いの紐帯ができあがる。大げさかもしれませんが、人として生きることを実感し意識できます。

僕はコンピュータエンジニアエンジニアを10年やってきました。いかに、コンピュータを人に使ってもらう事に対して、自分の目線ばかりで考えてきてしまっていたのか、それに気づかされました。僕には、まだまだやらなくてはならない事がありそうです。

■除外したこと

掲示板はコミュニケーションのツールとして10年以上前はよく用いられてきましたが、最近は僕の中ではそうでもなくなったので、除外しました。

ブログもコミュニケーションのメディアだろうと言う意見が出るはずです。でも、スパムなどでコメント欄やトラックバック欄が荒れる事も少なくなく、閉じてしまう人も出てきました。また、日本では日記としての用途も少なくありません。従って、コミュニケーションと言うよりは発信主体のメディアというのが僕の理解なので、除外しました。

※1: 2級を取得すると、国際通信用を含めた全てのアマチュア無線の周波数が扱え、出力もヘタな放送局よりも大きな200Wを扱う事が出来ます。4, 3級に比べて自由度がぐっと広くなるのです。

※2: モールス(CW)やRTTY、パケット通信は除きます。でも、モールスだと打つペースが変わってそれはそれで伝わるものがありました。

※3: 今後、録音機能がつくので、記録に残す事が可能となるというアナウンスが流れています。

※4: 昔、アマチュア無線をしすぎて学校の成績がえらく悪くなった事があるので、今度はそうならないようにやる事はちゃんとやるようにしてから、と決めました。


2012年が始まります

あけましておめでとうございます。

2012年がはじまります。年末年始をまたいだということで何か大きく変わるという訳でもないのですが、よい区切りとして心機一転、取り組んで行きたいと思っています。

■やること

やる事はしっかりとあります。

  • 大学院で修論を年末までに仕上げる。
  • 自分の仕事に対するビジョンを定める。

この2つです。1つ目はとても目標が明確ですが、慣れない事をしているため簡単にはクリアできないとは思います。仕事と並立しながら、何とかやり遂げなければなりません。単位は昨年中にほぼクリアしているのが幸いです。

二つ目。20代で自分なりに幅広く仕事に当たってきましたが、「あいつは何をやっているかわからない」というイメージが最後についてしまい悔しい思いをしました。昨年から仕事を絞る事を始めましたが、今年は少し無理矢理にでも自分の仕事に対するビジョンを定義していくつもりです。そうすることで、自分に関わってくれる人が「あいつはこう言う人だ」というイメージを伝えやすくなるのではと期待していますし、自分にとってその方がいいと考えています。

■身の回りの変化

大きな出来事としまして、2011年の年末に実家が福岡市内から大阪市内へ引っ越しました。引っ越しはもう慣れっこですし、東京からですと大阪の方が安く行けるので(時間はそんなに変わらない)ありがたいことです。母の実家もすぐ目の前なこともあり、尚助かります。ただ、福岡の友人に会いに行く機会が減りそうなのが、少し残念ですね。

■未来に悩む時代

今、いろいろな方にお話しに伺うと、未来に悩んでいる方に多く出会います。これは、ITだからとか、年齢が云々とか、そう言う問題ではなさそうです。日本国の将来はもちろんの事、経営・勤務している会社の事、そして自分自身の事に至るまで、明確に「こうだ!」と言う方はほとんどいらっしゃいません。

この時代は、特によく学んだ人ほど変数を吟味すればする程、悩んでしまう時代のような気がしています。それは、自分自身にも言える事です。ここまでくると、もう理屈を越えてしっくり来る何かを自分で定義して「こうだ!」と言ったほうがよいのかもしれませんね。

ダメな時はダメだろうし、うまく行く時は大丈夫でしょう。それよりも、やったあとに「なぜこう言う結果になった」かを振り返られるよう、謙虚にありたいと思っております。

■難しい話は置いておきまして

みなさま、今年もどうぞよろしくお願いします。
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プログラムはコミュニケーションツール

■人と話すのは好きだ、だけど…

僕は小さな頃から、人と話すのは好きでした。特に、自分自身と興味関心が近い人と会話する事が非常に楽しく、時間を忘れて話し込んでしまう事もしばしです。

また、中学生の頃にアマチュア無線をやっていたせいか、10代の頃から年齢が何倍も上の人と話す機会も少なくなく、その時の年齢では得難い知見をたくさんいただきました。

しかし、この1年で気づいた事がありました。自分から話を振る事はあっても、人から話を引き出すのはあまりうまくない、と。

■直接の会話ではどうも解決しない

人の話をなぜ引き出せないのか。振り返りますと、僕は話し出すと押しが強く、かつ矢継ぎ早に言葉が出てくるように、はたからは見えるようです。だから、それを上回るペースや、よほど念が体から発せられるような存在感の強い人でない限り、僕には「話は聞いてもらえないだろう」と思われるのです。

最近は、自分の話している事が通じないだろう、というどちらかというと消極的な理由で、あまり話さないようにしています。人の会話は、1割も伝わっていればいいということです。たくさん話したところで自分が想像する程伝わってはいないのです。

しかし、これは自分の話す量を制御するだけであって、相手から話してもらう量が変わる訳ではありません。相手の話を引き出すための手法としては失敗しています。

■プログラム開発を通じて人から話を引き出せる

プログラム開発、そして出来上がったソフトウェアを世に広める行為は、開発者の自己主張であるというのが一般的な見方であります。これは主にWebサービス開発やオープンソースソフトウェア開発に言える事でしょうが、受託開発であっても言われるがままという事はありません。

それと同時に、ソフトウェアを通じて利用者から「意見」「感想」そして「苦情」といったフィードバックが届きます。ソフトウェアはコンピュータやネットワーク上で動く道具ですから、使えばフィードバックが来るのは当然です。

これです、これなら自然と相手から話を引き出せます。これに気づいて以来、僕はプログラムと自分自身の関係を聞かれると「プログラムは世間とのコミュニケーションツール」と捉えるようになりました。

■最近は会話が減った

最近、仕事をしていて会話が減りました。いわゆる上流工程のSEをしているので、要求定義を行う上でのステークホルダーとの会話やプログラマとの情報交換はありますが、それは必要最低限のこと。プログラムを書く仕事はもうありません。ですから、自分でプログラムを書く時間を作らなければなりません(※1)。直近では大学院の講義で出たレポートを仕上げる際や、新しい技術を確認するために書く程度です。

しかし、これでは不足している。4年前のシムエントリのように、自分自身でプログラムを書き、ソフトウェアを世に公開しなければならない。最近、そう考えるようになりました。プログラムを書けば、また広く世間の方々から意見をいただけるようになるのではと思うからです。

■ソフトウェア開発は少人数でいい

多くのソフトウェアは、とりあえず書ける人を山ほど集めて取りかかるより、敏腕のプログラマが数人集まってささっと書いてしまうことがうまくいきます。そのような体験をされた方は少なからずいらっしゃるはずです。

僕もSEという仕事をしておきながらあれなのですが、正直な所、自分を含めて少人数でプログラムを書き、商品をリリースするほうが効率も良く、より世間の役に立てるのではないかと考えています。僕がやる事は、人をまとめたり指示する事ではなく、出来上がるソフトウェアの品質に責任を持つ事だと自覚しています。それなら、尚更コスト上の「オーバーヘッド」である管理だけの仕事というのは、無駄な気がしているのです。

これは、ソフトウェア開発のマネジメントを放棄しているのではありません。要求定義をはじめとしたソフトウェア開発として向かうべき方向を定め、必要な知識を獲得し、最終製品を作り上げる責任は、変わらずに負うのです。ソフトウェアを自分自身も書いていれば、そのソフトウェアに対してより深く理解するでしょうし、また多くの人とコミュニケーションが出来るのではという期待があります。プログラマによって関わる工程の幅が変わる、それだけの事です。

それが、僕の考える「普通の開発」です。

※1 プログラムを書く行為は、筋トレと同じで続けていないと知識が腐っていきます。文法やライブラリは見れば思い出せますが、プログラムを書く時の「型」を忘れて行く事で書けなくなるのです。


  • 自己紹介


    昼は要求定義からインフラ構築まで担当するサーバサイド技術のSE、夜は焼酎をこよなく愛す兄ちゃんです。
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