私の考え

東京電力の株主総会とは何だったのか

前にもこのブログでお話ししましたが、僕は震災直後に東京電力の株式を購入しました。個人投資家がずいぶんと買い付けに走っていたようですが、僕はあくまで自分の仕事を支えている電力について当事者意識を持ちつづけたいという意図から、購入に踏み切りました。

そして、多くの投資関係者、いや、世間が注目していたであろう株主総会へ足を運ぶ権利も生まれます。いかないという選択肢は、僕にはありませんでした。時代の1ページに残るイベントになるであろうこの機会を、どうにかこの目で見ておきたいという気持ちは、押さえようが無かったのです。

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■僕は悔しい

感想から書きます。僕は、この株主総会に参加して、とても悔しい想いだけが残りました。

確かに、この状況を招いた経営陣には極めて重い責任があり、補償に対する引当金が全く積まれていない決算書を承認した監査結果について強い疑念が出るのは当然です。しかし、あの株主総会の場で、経営陣を必要以上に責めることが本当によかったことなのでしょうか。あの場で何かをやることで、大きく世界が動くとでも思えるのでしょうか。

動議を発すること自体は否定しません。でも、議長を変えるにしても、誰に変えたかったのでしょうか。代打で議長をやる適任者があの場にいたのかというと、恐らく多くの人はいないと思っていたでしょう。その上で、動議の最中に自分たちの反原発に対する想いを述べ始められても、株主として取締役からの報告を聞きに来た僕らにはその準備は全くありません。

質疑についてもそうです。原発事故直前まで安定していた株価と配当が一瞬にしてパーになる、それに対して怒りが沸くのは当然です。でも、その議論よりも、原発事故に対する経営責任について、経営者の責任を明らかに逸脱した要求や罵倒にも近い発言を投げつけることが、原発事故問題の解決に至るのでしょうか。自分や身内の経歴自慢なんてもってのほか。似たような批判で怒られ慣れてしまった経営陣に、その言葉は本当に響くとは思えません。

東京電力の個人株主の多くが、今の状況を少しでも改善することに希望をつなぎ、新しい未来を形作ることに興味・関心を抱いていれば、6時間あまりの時間がこんなことに費やされるなんてあるわけがないのです。

■僕が東電に求めるのはあくまで安定した電力供給だ

コンピュータエンジニアで生計を立てる僕は、東京電力の極めて安定した電力供給についてはこれまでずっと感謝し続けてきました。海外で、ここまで安定して電力が供給される国というのは、実はそれほど無いのです(『欧米の制度改革とその効果及び評価 – 資源エネルギー庁(平成17年)』)。米国でUPS(無停電電源装置、いわゆる非常用バッテリ)の企業があれほど儲かっているのは、米国の電力供給が日本ほどには安定していない事情もあるからです。

しかし、原発事故を機に、電力供給の安定性が揺らいでいます。初春の計画停電、そして現在行われているぎりぎりの節電努力による停電回避。水道の蛇口をひねれば水が出てきたように、コンセントにプラグを差せば当たり前のように電気が供給されたのは、過去の話です。

では、今後どうしていけばいいのか。ここを考えなければならないと、日本の未来はありません。

今、原発の代わりに火力発電のウェイトが高まっていますが、火力発電にもリスクがあります。二酸化炭素ももちろんですが、最も怖いのが中東情勢です。中東で何かが起きると、遅かれ早かれ燃料費が高騰し、最終的には枯渇します。最悪、火力も原発も止まりアルメニアのように電気が無く凍える冬を過ごすことになるのかもしれません。これはオーバーでしょうか。でも、原発事故が実際に発生するかどうかなんて、専門外の人たちは現在ほどは現実的に想定したことは過去に無かったはずです。

■電力の供給は全方位で考えられる

電力供給の問題に立ち向かうには、発電ばかりが観点になる訳ではありません。

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まず、需要側といえば節電。関東の皆さんは、本当に全力で節電に取り組んでいます。何とか冷やせているエアコン、日中は蛍光灯さえ消された電車、ピークシフトで電源ケーブルを抜いたノートパソコン。何とかがんばれてますよね。これ、ずっと続けるとなると、ぞっとしますでしょうか。せめて休日シフトが無くなればとは思っていますが、これを機に積極的にピークシフトは強く意識する必要があると僕は考えています。

続いて、配電。スマートグリッドという言葉、聞かれたことがある方も増えていると思います。自家発電と電力会社からの供給をハイブリッドに使い分けるという理解が浸透しています。ただ、これ以外にも考え方があります。米国では、デマンドレスポンスと言って、生死に関わる物は別として、それ以外の電力を柔軟に計画停電できるネットワークが組まれています。この事実は、東京電力自身が2009年に総務省にて発表されています(『日本型スマートグリッドに向けて – 東京電力(平成21年)』)。

最後に、発電。自然エネルギーの活用が叫ばれていますが、太陽光発電はどうしても出力が安定しないことと、先の東電の資料ではピークパワーが必要な夏の需要に必ずしも応えられるものではないと記されています(11ページ)。火力も今はいいが世界情勢を鑑みたリスクヘッジが必要になることは間違いありません。そうすると、原発は直ちに停止できるものなのでしょうか、という議論もする必要があります。

同時に、需要側の自己防衛も本格的に検討を始める必要があります。今は太陽光発電がメジャーですが、都市ガスを使った燃料電池、ピークシフトを可能にする蓄電池システムなど、選択肢が増えてきています。

つらつらと書いてきましたが、要は電力供給の安定には様々な要素を吟味しなければならない、ことは間違いありません。

■東電の立場は苦しいのは自明 でも原発だけが問題なのではない

電力供給のハイブリッド化が進むと、東電の経営基盤に大きなパラダイムシフトが起こります。自分たちが形成してきた『聖域』に、他業種を踏み込ませることを認めることになるのです。NTTが引っ張った光ファイバーの上に、KDDIとソフトバンクが乗ってくるように、です。自動車会社が作ったプラグインハイブリッド車が蓄電池を兼ね、ガス会社が作った燃料電池発電システムが稼働する家庭を、東電が認めるでしょうか。

先の資料の18ページ(最終ページ)に、東電自身が「電力供給のスマート化は進展している」と言及しています。要は、僕らを信じろと、あの時は言っていたのです。でも、現状はそうではなくなりました。

ここで、東電の経営層がどう考えているか、僕は質問したかったんですが最後まで機会を得ることは出来ませんでした。ずばっと、デマンドレスポンスと火力の供給リスクについてだけでも聞けば、この話題の主要なポイントは押さえられると思っていましたが、そんな機会など得られるはずも無く。

■未来は現役世代が自分自身で責任もって作ろう

東電の個人株主の方は、恐らく老後の資金を安定運用するために買っていたのだろうと思います。でも、原発事故を機に、いや、今後起こるべくして起こった電力供給の安定性に対する課題がここでわっと吹き上がりました。しかし、総会でそのことを気にして発言している株主はごく少数なのです。

しかし、電気が無くて経済活動が行えなくなるのは、他でもなく僕ら現役世代です。その僕らが電力供給に関心を持つことが、未来の安定供給を担保するために必要な第一歩であると考えます。それは、原発の白黒、自然エネルギーの積極導入だけではない、一人一人がもっと幅広い興味関心と、その先にある意見を持つことであることを、僕は疑いません。それが世論となり、東電や国を動かすのではと期待しています。

製造業では、既に海外シフトが始まっています。このままだと、日本に仕事は無くなるかもしれません。そこまで追いつめられているのです。少なくても、経営陣を責め続けるだけで電力の安定供給が揺らいだ現実が解決するはずが無いのです。

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※参考文献

※追伸

  • IR担当に後日直接聞くのはいいですよ、と総会で言ってもらえましたので、もう少しまとめてから聞いてみようと思います。
  • 詳細な様子については今回は記事の趣旨と合致しないのであまり書いてませんが、聞きたい人がいれば個別にします。少なくても、新聞報道とはまた違った現実を知っていただけるはずです。

働き出して10年が経つ これまでとこれから

この4月で、働き始めて10年になります。大学院へ行く事もあり、最近は会社の上司に仕事量の調整を始めてもらっています。そのため、働いているのにも関わらずかつて無いほど余裕のある状況…言うなれば『モラトリアム』に近い日々を過ごしています。

僕は、ちょっと余裕があるといろんな事を考えてしまう性格でして、幾度となくこうしてブログを始めとした表に出るメディアに想いを書く事で整理してきました。もうすぐ10年という事で、これまでを振り返って整理して行きたいと思います。

■どうして働き始めたのか

どうして高卒で働き始めたのか。それは、大学受験に失敗したからです。「東京の予備校でなら合格できる」と今考えたらひどい理屈で東京にわざわざ引っ越させてもらい、予備校に通いつつ慶應義塾大学のSFCを受験しましたが、箸にも棒にもかからず玉砕。最終結果が分かったときに、電話口で父に対して「働きます」と涙を流して詫びた事を昨日のように覚えています。

幸い、住んでいる場所が父が東京に残した家だったため生活費は継続して支援してもらえる事となりましたが、この時2001年は就職氷河期の最悪期。それでも乗り越えなければなりませんから、たくさんの応募書類を書いて面談に通いました。

■開発の流れを教わった大企業での経験

そんな中、運良く大手IT企業の開発子会社の契約社員になる機会を得ました。高校生の頃に書いていたオンラインソフトの経験があってなんとかチャンスを得た形ですが、最初の契約期間は3か月。結果が出なければ即刻クビです。ですから、もうしがみつくようにコンピュータの前でプログラムを書きまくりました。誰よりも速く、誰よりも品質が高く、そして誰よりも信頼されるように。ちょうど、クラサバアプリとWebアプリの切替期だったこともあり、両方書く力が求められ混沌ともしていました。

そんな中、大手IT企業は『開発標準』というのが徹底的に整備されており、その流れと目的をしっかり通すことになります。これは、開発とはどう行われるべきかの基礎を理解するすばらしい機会となりました。

最終的には約1年半在籍しました。正直な所、きっかけはその際お世話になった課長に拾ってもらったに近い境遇でありましたが、このキャリアは自分自身のレピュテーションを安定させるすばらしい経歴となりました。

■能力を一気に拡大させたベンチャー企業での経験

次に転職した、株式情報サイトを運営するベンチャー企業には4年いました。ここでの経験は、限界というラインを一気に底上げし、能力という幅を一気に押し広げ、そして企業が成長して行く様を肌で感じる、ハードながらも思い出深い体験でした。

転職したその頃の日記を見ますと、かなりへばっている事がよくわかります。会社の状況が非常に厳しい創業期に入社した事もあり、1ヶ月でサイトをリニューアルする仕事が一番最初の仕事でした。今ではWeb系の開発ではこの水準は珍しくありませんが、この時期はフレームワークを始めとした短期開発の基盤がそれほど出回っていない時期でして、どのようにすれば開発が速くなるのか?というのをほぼ同時期に入社した先輩2人を含めた3人でコードを書きながら試行錯誤したものでした。

また、この会社の社長はパーソナリティが非常に強い方であり、かつサービスの方向性を決定づける重要なポジションに立つ方でした。そのため、社長から適切に要件を吸い上げ、サービスに展開させなければなりません。また、開発期間も短いため、高効率なプロジェクトマネジメントが欠かせません。こうしているうちに、プログラミングばかりではなく、自然と上流工程に興味を持つようになりました。

そして、サービスはソフトを充実させればさせるほど、お客様窓口を手堅くすればするほど、そしてレピュテーションがあがればあがるほど、お客様が増えつつ利益が倍々で増えて行きました。これも、現在成功していると言われているベンチャー企業では当たり前ですが、ソフトウェアサービス事業は製造原価がほぼ固定されていますから、損益分岐点を越えるとその後はほぼ全て売り上げです。

今現在の自分の背景、それは技術やマネジメント、ひいてはお金の流れについての知識と経験は、この頃に確立できました。4年でしたが、何十年も勤めたような気がするほど、密度の濃い時間を過ごせたように思います。

ただ、人間とは慣れが出るもので、最後はちょっと伸び悩みました。その頃のブログにはこう書き残していました。

僕は同じ場所に4年以上いることって、人生ではじめてなんです。
いつもは2~3年ごとに別の土地・学校へ移り、そのたびに新しい人と出会い、生活の場を開拓してきました。
しかし、4年いたせいか「慣れ」が出て、それが今まで自分になかった種類の「甘え」が出始めていたのは事実です。もちろん人間ですから、誰しも甘えは持っていると思うのですが、「安住」し始めていたんです。
僕の今までたどったことって、いつも「新鮮」で「開拓」する流れだったのに、これまでとは全く違う、それも悪い方向に流れるなんて、これはいけない。ってね。

■多くのお客様を巡った3社目

3社目は、地域ポータルサイトやEコマースサービスを立ち上げるSI会社に勤める事になりました。

この会社は広島県の福山市にあり東京に本社が無いベンチャー企業でしたが、商品開発を通じてレピュテーションが上昇している時期で、自社サービス開発・展開を強化する任に着く事になりました。

お客様は北こそ東京どまりでしたが、南は鹿児島にまでありまして、1ヶ月に数回は出張に出かけました。地域を盛り立て、ビジネスを盛り立てるお手伝いができ、非常に楽しい仕事ができました。また、これほどインターネットサービスが普及していても、最新の情報、特に技術情報が東京に一極集中状態であり、東京以外の地域をまわる事で日本全体のITリテラシーを底上げできるのではないのかと思う事もありました。

しかし、これまでと違ったのは社内調整の難しさという洗礼に遭いました。正直、これを通じて自分が精神的に弱かったことを露呈する結果になった事は、苦い思い出です。前職は、社長の元で全社挙げて行動を起こしていたため、価値観が1点に収束していたためあまり気にせずに仕事ができていた事を、このときに知ったのでした。また、今後の仕事での重要な示唆に富んだものでもありました。

最終的には追われるように去った、1年半でした。

■コンピュータサイエンスの大切さを知った中継ぎ期間

今の会社に勤め始める前、3ヶ月ほど間が空いた期間がありました。

その際、特別な仕組みの元に運営されている機関の研究所に、プログラミングのアルバイトという形で少しだけ仕事をしていました。そこで、自然言語処理のことを学びながら、久々にプログラミングの没頭する毎日でした。同時に、プログラミングをする上でのコンピュータサイエンスの知識の無さを痛感しました。今、大学院に通う選択の原点はここにあります。

また、この頃からスキーや自転車を始めとした、今につながるアウトドアのアクティビティに再び始めることにもなります。仕事が限定されていた事、そして一緒に働いていた方もプライベートを充実させる事を大切にされていた事が影響したのでしょう。こういったバランスを取る事で、仕事に対しても広い視野で取り組めるようになった事は大きな出来事でした。

そして、大組織を通じて人のつながりの大切さを感じました。1年目の時には感じませんでしたが、多分見る視点が変わってきたのだろうと思います。

大企業、特に創業から数十年経過している大企業と言うのは『人を大切にする』土壌が整っていることが多いように感じます。
その反面、中小企業は年がら年中「人が足りない」と言って求人広告を出し続けます。この費用を、少しでも人を大切にする、たとえば人材教育にまわすことができたなら、人を増やさずも社内に「会社の価値を高める人」が増えていくのに。と思いました。

■多彩な価値観に置かれる現在

今の会社に勤めるようになって、もうすぐ3年になります。

入社時、人員のリストラの直後でした。すぐ転職とならなかったのは、これが原因だったのです。社内は大変混沌としており、時には「あなたは何をしにきたのだ」とさえ言われました。僕には、技術者としての任務もさることながら、その裏には会社の状況を変革してほしいという命題が経営層からありました。また、ここは元はゲーム会社ですが、僕が入社する頃から様々な出身者…SI・TV業界・通信会社・専門学校関係者など、多彩な価値観をもつ人が増え、ゴールへの焦点の当て方を考えるにも簡単でないのも、事を難しくしました。

まず、2ヶ月で公式携帯サイトの立ち上げと言う、久々ハイスピードなプログラミングからスタートです。続いて、会社の文化をよりよくしようと創造と変革のための活動を通じ、社内の風紀や規律を整えることもやりました。ITインフラも大変な状況でしたので、なんとか投資をし再整備に理解をしてもらおうと説明に走り回った事も、つい最近のことです。

今年度に入り、ようやく本領を発揮できるSIに関するマネジメントや技術要件・設計に携われるようになり、落ち着いて仕事に取り組めるようになりました。その甲斐あって、大学院を目指す準備もしっかり行う事ができました。僕自身ではまだまだとはいえ、組織的にビジネスを進めるスタイルも様になり、一段落です。

ただ、入社した頃から続く憎まれ役として耐えなければならない状況は続いています。そんな中、今年度から部署を支えてくれる2人の上司に助けを得ながら、なんとか自分の身を立てつつビジネスへ最大限貢献する事に集中するよう、能動的に意識する毎日です。精神的にはまだまだ独り立ちとは行っていませんが、次に自分がそう言った立場になった際の糧になるよう学び続ける事を忘れないようにしたいと思っています。

その傍ら、外部の勉強会の参加・発表もより積極的に取り組むようになりました。勉強会を通じ、仲間を社内ばかりではなく社外を通じて広く求め、あわよくばパートナーとして一緒にビジネスを進める形態を推進しています。これは徐々に成果が出てきており、これからの中小IT企業はこうしていくことで強みを補完すればまた面白いビジネスを展開できるのではと想像が膨らむ毎日です。そのためには、まずは発信が必要だということも身をもってわかりました。

■これまでとこれから

正直なことを言うと、プログラミングの知識をもっと専門化・先鋭化させたかったなと思っています。ちょうど僕の年代の人で、プログラミングに長け内外からの評価が高い人を見るようになりました。そうして行ければ身を立てやすく、かつ自身の元に集まる人も増やしやすいのではと思うと、うらやましいのです。自分の能力には、目に見えてレピュテーションや結果が出ていると実感できる事は無いものですから。

ただ、こうして10年の歩みを考えると、経緯的にも能力をプログラミングに先鋭化する方向にはなりませんでした。自分が意識的にやらなかったせいはありますし、至近で必要とされるものを自分なりに広く考えて行った結果、こうなっています。最高の結果ではないのですが、少しの成果と明日につながる道はできました。

4月から筑波大学で経営の勉強をしつつコンピュータサイエンスを学ぶにあたって、今は花咲いていないITに関する技術と経営の2側面からのマネジメント…最後は決断力を高めることに力を注ぎ、今注目されている彼らとはまた違った価値・成果を世間に提供していきたい、そう言う想いです。そして、何かの導きでそういう機会を頂けたと理解しています。

また、決断の環境をよりよくする取組みとして、仲間の大切さや精神的な強さを仕事を通じて培い続けられるよう、取組むばかりです。

そして、お世話になった全ての方々への御礼は、自分が出す結果にあると理解しています。

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大学へ進学する意味はどこまであるのだろう

■大卒内定率がかなり低いらしい

社説:大卒内定率68.8% 大寒波で春が見えない – 毎日jp(毎日新聞)
図録▽就職内定率の推移(大卒)- 社会実情データ図録

ここ2〜3年、大卒内定率ががくんと下がっている報道をよく聞きます。実際、2009年度以降から下がり基調です。ちょっと前まで売り手市場、さらに僕らが働き出した2000年前半は就職氷河期と言われ内定率が低い時代でありました。

そんな中、中小企業に勤めているともうちょっと人がいてもいいなと考えますが、それではがさっと人を取るのかというと取りません。僕が生業としているコンピュータエンジニアというのは、ただ単に人を増やせばいいのではなく、コンピュータの知識を獲得し商品に形作る力が無くてはなりません。若い人に教えることができない訳ではありませんが、全くプログラムが書けない人に教える時間はありません。Web関連開発であれば、小さくても1本でもいいですから個人でサービスをあげたことがある力が欲しいのが現場の希望です。

■海外からの雇用が増えているようだ

ここ最近、内定率が下がっている割には、海外から人材を迎える事例が増えているようです。

電機各社 新卒採用で外国人増 NHKニュース
増大し始めた外国人新卒採用。中国人は7万3000人弱 – 東洋経済オンライン

NHK ニュースによると、新興国で展開するにあたって現地に精通した人を雇おうという考えです。それ以上に重たい内容が、東洋経済の記事にある『優秀な人材を確保するため』という理由です。能力が高ければ国籍はあまり気にしませんという企業の姿勢が見えています。

以前、ベトナムへ足を運んだ際に感じたのは、大学へ進学して勉強している学生の方々は一所懸命に勉強しているのです。また、一例としてコンピュータサイエンスの勉強をする場合は日本のように母国語の技術書が充実している訳ではないので、必然的に同時に英語の勉強も進んでいます。既に働いている自分でさえ危機感を持ちました。「食べるために」そして「成長の最前線に立ちたい」という意識の強さが、そうさせているのでしょう。

■大学へ行く意味があるのか

では、働いて食べるにあたって大学へ行く意味があるのか?と考えます。僕はありだと考えますが、それは条件付きです。ぱっと浮かぶのは次の3つ。

  • 興味のある分野の研究に打ち込みたい
  • 専門知識を得て社会に出たい
  • とにかく学歴が必要 (特に医者・公務員など)

少なくても、のんびりとモラトリアムの時間として過ごす場ではないことは確かです。そんなことをしていれば、先のニュースのように外国の新卒、特にアジア各国からやってくる成長に貪欲な同世代にどんどん仕事を持って行かれることでしょう。

また、就職活動は3年目から始めますが、勉強よりも就活のほうが忙しそうな学生さんも見ます。就職フェアに参加して、会社説明会に行って、OB & OG 訪問をして、エントリーシート(ES)を書いて、何社も面接して…と就職するために活動しているはずが、いつの間にか働き出してから必要な力をつける機会を逸しているというのは、何と言う矛盾でしょうか。文系ならまだしも、理系だと卒論が待っている学生さんは多いはずですから、さらにきついですよね。

■先に働けや

自分自身と比べるのは極端かもしれませんが、そんなことをしているのであれば高卒で働けと思うのです。20歳前後というのは、体力的にどんなに無理をしてもすぐに回復してしまいますし(※1)、ものすごく頭が回転して物事を吸収しやすい年頃です。今の礎は20代前半につけたと自信を持って言えます。アラサーになった今、同じようにみっちり働いて、ぎっしりと知識を得るのはちょっと難しいです。そんな時期を大学で浪費するのは、もったいなくてもったいなくて見てられません。

いや、お前はたまたま運がよくて、さらにプログラムが書けただけだろう!という人もいるでしょうから、百歩譲って言うと、専門知識を必要とされるアルバイトをすればいいんじゃないかと思います(※2)。例えば、プログラマのバイトとして学生を雇い入れる会社は探せばいくつもありますし、そうして力をつけた人も見てきました。商品作りを通して技術力を養いながら、社会人としての身構えを実地で感じ、そして報酬(=お金)をいただくというのは、ありがたい話です。

働くと、自分の世代とは違う…それも年上ばかりのコミュニティに飛び込むことになりますので、視野が変わってくるはずです。社会というのはこれほどまでに多様で、厳しく、そして生きる手応えがあるのかと日々感じることができます。僕の20代前半はそう言う時間でした。

コンピュータエンジニアほど専門知識を要しない仕事でもいいかとは思いますが、専門的であればあるほど自分の仕事の責任が重くなりやすいので、より短期間で実力を高めることができるはずです。特に、コンピュータエンジニアは当たり外れや会社の相性が大きく出るので、若いときに実績があるのは強力な武器になります。

■後でも勉強できる

ちょっと大変ですが、後で勉強するチャンスもあります。これは、今年の春以降どうなるか身を持って感じて行こうと考えています。少なくても、勉強するモティベーションは高校を出た10年ほど前と今とでは全く違うことは間違いありません。学費も自腹ですから、覚悟も違いますしね。

もうここまでくると覚悟の強さの違いです。

活きのいい中小企業、名の知れた大企業(の一部)で勤めようと希望すればするほど(※3)、「即戦力」として活躍するための実力をつけておかなければならない。そうしなければ、アジア各国からやってくる同世代にどんどんポジションをもって行かれ、何の仕事も無い状況になることは想像に難くない、そう言う時代になったということでしょうか。少なくても、モラトリアムとしての大学進学という選択肢は無いのです。

もちろん、今、現役で働いている僕らも、このことは忘れてはならないのは言うまでもありません。

※1 23歳の頃に倒れたりしましたが、それは肉体の疲労ばかりでなく精神的なプレッシャーも重なったことが原因です。精神疲労は寝ただけでは回復できませんから気をつけてください。

※2 二部を設ける大学が減ったので、勤労学生はちょっと難しいかもしれません。

※3 研究職や起業となるとまた違うと思いますが、どちらにしても中途半端で続けることはできません。

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サラリーマンとして積極的に生きてみようじゃないか

■僕にはやりたいことは無い

普段、僕はIT系の中小企業に勤めています。

僕には、明確な目標や、興したい事業というのは特にもっていません。どちらかというと、自分の所属している組織のリーダーの想いをよく理解するようにして、それに対してどうやれば自分が貢献できるのかを考えながら働くことをモットーとしています。そんな生活が一つの幸せであります。

これは一人で活躍できないことを自分で肯定しているのですが、別の側面で考えると、組織の中で押さえるべきところを押さえる自信が自分の中に定着してきたことを肌で感じているのです。

■独立する気は今は無い

積極的にビジネスをやろうとすると、すぐに「独立」というキーワードが出がちです。特に、IT業界にいるとその傾向がより強くあります。

独立というと会社の鎖から解き放たれて自由に動き回れると想像しがちです。僕もそう考えた時期がありました。人は…独立した人、サラリーマン関係なく、僕に対して独立を薦められることがあります。そのときに出る共通したキーワードは「実力があるからできる」。

しかし、自分自身が今取り組んでいるビジネスは独立しないとできないことなのかと考えたとき、必要性が低いことがわかってきました。自分自身が今やりたいことはできているし、独立すると逆に実現が難しくなる。十分な理由でした。

■独立すると別の苦労があるはずだ

独立した人に、独立後どの辺で困ったことがあるか聞いたことがありました。一番多かったのは、帳簿の話です。会社に勤めていると、会社のお金の出入りは経理の人がやってくれます。しかし、独立すると先ずは自分でやらなくてはなりません。税理士さんに頼む人もいるのでしょうが、今度はお任せするためのお金がかかります。

続いて、資金調達のことでした。蓄えがあったとしてもいつかは無くなりますから、定期的に売り上げがあがるようにお客様を掴まなくてはなりません。おおっと、そうすると今度は営業活動が必要です。つてがあればいいでしょうが、無ければ飛び込み営業も辞さない構えです!

でも、こんなことはおそらく小さなことなのかもしれません。本当にやりたいビジネスがあれば、乗り切る精神力が自分にみなぎってくるんじゃないかと考えたからです。少なくても、独立する気になって大きなリスクと感じるポイントにはなりません。

そんな中、僕が最も気にしたのは、仲間です。 Co-Founder がいるかどうか、そしてその後は名も無くどこの骨かもわからない会社に勤めてくれる人が果たして現れるのか。今、中小企業に勤めている時点で非常に困っているのに、独立なんてしたら尚更大変になることは目に見えています。

■会社という環境を見返してみる

会社に勤めているサラリーマンである僕は、会社という傘に守られています。まず、定期的に払われるお給料や健康保険をはじめとした福利厚生があります。続いて、仕事をするための道具、僕なら什器とコンピュータが備え付けてあります。そして、自分ではできないことを支えてくれる仲間がいます。

仲間というのはとても重要で、自分だけでは手が回らない部分、そして自分ができないことをやってのけられる人です。それは、相手にとっても同じこと。そんな中で会社という組織の中で決めた目標に対して、おのおのが分担し、時にはずる賢く使うことで事に当たります。仕事をするにあたって当たり前のことは、会社だから容易にできるのです。

しかし、まわってきた仕事の中に自分の会社では担当できる人がいないこともあります。そんなときは、パートナーとなる会社とともに活動することも選択することができます。そのときに使うのは、会社が培った信用と、実績です。もちろん、相手のその部分を見て来ます。それを構築する一旦は、自分が担うのです。

アグレッシブ サラリーマン

「会社じゃ足かせが一杯ある」って思いがちですが、どの会社にも独立するよりアドバンテージになることは必ず存在しています。この点、独立を促そうとしている人が余り語らない点でもあります。

僕は、会社の傘の中で最大限自分が楽しんで取り組める、そして仲間と貢献し合える仕事をやることに集中するようにしています。これは、一人では何にもならないマネージャ職についている人はこの点を強く感じていただけるはずです。そして、中小企業に勤めていることを利用して、より自由な選択肢を自分の中に作ることができています。今年の春から大学院に通いながら仕事をする選択肢もその一つ。やることはやる、そしてそのぶん自分の希望も通す。強い権限の人にすぐにリーチできる中小企業だからこそスムーズにできています。

少なくても、20〜40代の時代は、こうして自分の活動をベースにして、上長、ひいては会社の経営層に対して緊張感をお互い保ちながら仕事ができます。名実共自分自身の必要性が確認されれば、会社の経営層はポジションを作らざるを得ません。もし、作られなかったら別の会社に行くだけです。逆の場合は、大変ですね。両者緊張感が必要なんです。そういえば、日経新聞の「私の履歴書」へ執筆される経営者の方は、サラリーマンからの叩き上げの方が多いですよね。

だから、会社の傘に守られていることはあっても、決して盾にしてはいけないのです。

■僕は中小企業がいい

会社は会社でも、大企業だと、確かに組織の傘が手厚い代わりに、自分の選択肢はかなり制限されます。やることが先鋭化されているともいえますし、そうして行くうちに自分の力が枯れる方向に向かうのではという危機感があります。守られすぎて、安住してしまうのでしょう。

だから、僕は積極的に中小企業に勤めるようにしています。トップとの距離も近いし、自分の活動の場もある程度コントロールしつつ自由が利きます。あわよくば、部分的に主導権を握れます。中小企業にいて、上長や経営層の言いなりで終わるのは、本当にもったいないと思います。経営方針を逸脱しない範囲で結果を出すべく自由に活動できる環境があるのだから。

もし、会社の制約がきついとしたら、それはスタッフ全員の価値観が会社組織の中で統一に向かっていないのでしょう。大企業のような多種多様な人がいるところならいざ知らず、中小企業で起きるとしたら悩ましい問題ではあります。でも、それに対して働きかけができるのも中小企業の良さです。僕も何度となくやりました。価値観が近ければ、ルールは最低限でいいのです(※1)。

全部が全部自由なんて世界は無いでしょうし、もしあったとしたらそれはそれ相応の義務が降り掛かってくるはずです。少なくても、独立は自由を手に入れる手段じゃないという理解です。

■僕の考えはまだ枯れていない

今の話、具体的な話はまだ多くありません。今、まさに取り組んでいるところだから、中身が枯れていないのです。ポジションが明確になるということは、それはもう枯れ始めているともいえます。分かりにくい話になってしまっているのですが、頭の中を引っ張り出すとこうなっていました。

極端な話をすれば、明日、気が変わって独立を選択するかもしれません。

その反面、変わらないものとして、全ての判断は過去の判断から続いてきていて、明日もその判断の連続が続きます。生まれ変わったように判断の連続が断絶することはありません。過去の選択の結果が今であって、今の選択が明日を決めています。そう考えたら、緊張感は常にもてます。

※1 あえて約束しているルールがあり、それは「”お金”, “人員”, “失敗” については必ず相談・報告する」ことです。シンプルですが、ビジネスで判断を迫られる際に必ず出てくる要素です。

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飲んだくれと言われた方がいい

  • 「凄腕エンジニアでこの人ならなんかすごいものを作るだろう」
  • 「飲んだくれでいったいこの人は普段何をしている人だろう」

僕なら2つのうちどちらと言われたいかと言うと、後者であります。多分、予想では前者と言われたい人が多いように思うのですが、あえてグータレな方を選ばせていただいております。実際、僕はグータレであります。

■逃げまくる

以前いた投資ソフトを開発する会社には、2人の先輩がいました。一人は理論的なことに関しては右に出ることのない力を持ち、もう一人は数学科を出たすばらしい知識をお持ちの人でした。そんな環境でさて自分はどうやって生きていこうかと考えますと、まともに技術で張り合うのはなかなか難しい。

そこで、2人の通らない抜け道を探します。正面から戦わず逃げる訳です。端から見てめんどくさそうでやりたがらないけど、役に立ちそうなことを選ぶ。誰もやってなさそうだから、やってみようかなとか。そうしていくことで、先輩達との距離感をつかみながら仕事ができるようになっていきました。

そのときはわかりませんでしたが、振り返りますと結果として自分独自の立ち位置を築けていたように思います。体裁を整えたインターネットサービスのサービスインのために、何をなすべきかをカバーする役です。

■やっぱり逃げまくる

今の仕事ですが、僕よりも優秀な技術者がたくさんおります。そして、社外に出て多種多様なコミュニティの方と交流していますと、その程度はさらに高くなります。もはや、技術者として勝負していくには難しい。今は20代だから仕事にありつく機会もあるでしょうけど、これから年齢を重ねると自分より若い人に追いつかれることは必至。また、コンピュータサイエンスを学んで戦っている技術者と張り合うのは、成り上がりの僕とはベースが違いますから追いつけることはないでしょう。

そうしますと、技術とは別の何かを絡めていくことで、強力な1つの軸で戦うのではなく、それなりに強い2つ以上の軸をもとに戦うことを思いつきました。ひょっとしたらこれは誰かの言葉だったかもしれませんが、結果としてこの発想にはなったでしょう。例えば、以前学んだファイナンスのこと。ほかにも、体感することで理解するもの。絡めるのはとても簡単で、かつ無数にあります。

今の仕事も、ゲームなのにWeb技術者の僕が飛び込んだのもその延長線です。ゲームプログラマだったら、こうは簡単にいかなかったでしょう。今ではシステム投資計画立案の仕事もします。

■「頼もーう!」と叫ぶ

上記のように絡めたりしますと、多くの場合は「この人は〜ができる」という判断を傍目からはしづらくなります。そうしますと、自分の環境を獲得するには「頼もーう!」と自ら探して飛び込むことぐらいなのではと考えるようになりました。もちろん、飛び込むだけではダメでその後もガッツリやり込みます。

しかし、しんどいですこれは。

■だから普段は飲んだくれている

ですので、普段はただの飲んだくれとして「あー、あいつは飲んでると面倒くせーなーwww」くらいに言われている方がええと思っております。相手もその方が楽につきあってくれるでしょうし、もし嫌だったらさっと目の前から去っていくことでしょう。楽な気持ちになった人は、いろいろなことを話してくれるので聞いている方も楽しいですし、すばらしい機会を…それは突然なことでも…得ることができることもあります。

■見ている人は見ている

思いがけなく、僕が10年前にやっていたオンラインソフトのことを評価してくれる人がいらっしゃることもあります。これを聞いて、本当に嬉しくなりました。熱心に取り組んだことが、時間こそ経っていますが見てくれている人がいることを知ることができたのです。

やることをやれば、焦ることもないのだなと気持ちを平静に保つことができます。

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    昼は要求定義からインフラ構築まで担当するサーバサイド技術のSE、夜は焼酎をこよなく愛す兄ちゃんです。
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