東京電力の株主総会とは何だったのか

前にもこのブログでお話ししましたが、僕は震災直後に東京電力の株式を購入しました。個人投資家がずいぶんと買い付けに走っていたようですが、僕はあくまで自分の仕事を支えている電力について当事者意識を持ちつづけたいという意図から、購入に踏み切りました。

そして、多くの投資関係者、いや、世間が注目していたであろう株主総会へ足を運ぶ権利も生まれます。いかないという選択肢は、僕にはありませんでした。時代の1ページに残るイベントになるであろうこの機会を、どうにかこの目で見ておきたいという気持ちは、押さえようが無かったのです。

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■僕は悔しい

感想から書きます。僕は、この株主総会に参加して、とても悔しい想いだけが残りました。

確かに、この状況を招いた経営陣には極めて重い責任があり、補償に対する引当金が全く積まれていない決算書を承認した監査結果について強い疑念が出るのは当然です。しかし、あの株主総会の場で、経営陣を必要以上に責めることが本当によかったことなのでしょうか。あの場で何かをやることで、大きく世界が動くとでも思えるのでしょうか。

動議を発すること自体は否定しません。でも、議長を変えるにしても、誰に変えたかったのでしょうか。代打で議長をやる適任者があの場にいたのかというと、恐らく多くの人はいないと思っていたでしょう。その上で、動議の最中に自分たちの反原発に対する想いを述べ始められても、株主として取締役からの報告を聞きに来た僕らにはその準備は全くありません。

質疑についてもそうです。原発事故直前まで安定していた株価と配当が一瞬にしてパーになる、それに対して怒りが沸くのは当然です。でも、その議論よりも、原発事故に対する経営責任について、経営者の責任を明らかに逸脱した要求や罵倒にも近い発言を投げつけることが、原発事故問題の解決に至るのでしょうか。自分や身内の経歴自慢なんてもってのほか。似たような批判で怒られ慣れてしまった経営陣に、その言葉は本当に響くとは思えません。

東京電力の個人株主の多くが、今の状況を少しでも改善することに希望をつなぎ、新しい未来を形作ることに興味・関心を抱いていれば、6時間あまりの時間がこんなことに費やされるなんてあるわけがないのです。

■僕が東電に求めるのはあくまで安定した電力供給だ

コンピュータエンジニアで生計を立てる僕は、東京電力の極めて安定した電力供給についてはこれまでずっと感謝し続けてきました。海外で、ここまで安定して電力が供給される国というのは、実はそれほど無いのです(『欧米の制度改革とその効果及び評価 – 資源エネルギー庁(平成17年)』)。米国でUPS(無停電電源装置、いわゆる非常用バッテリ)の企業があれほど儲かっているのは、米国の電力供給が日本ほどには安定していない事情もあるからです。

しかし、原発事故を機に、電力供給の安定性が揺らいでいます。初春の計画停電、そして現在行われているぎりぎりの節電努力による停電回避。水道の蛇口をひねれば水が出てきたように、コンセントにプラグを差せば当たり前のように電気が供給されたのは、過去の話です。

では、今後どうしていけばいいのか。ここを考えなければならないと、日本の未来はありません。

今、原発の代わりに火力発電のウェイトが高まっていますが、火力発電にもリスクがあります。二酸化炭素ももちろんですが、最も怖いのが中東情勢です。中東で何かが起きると、遅かれ早かれ燃料費が高騰し、最終的には枯渇します。最悪、火力も原発も止まりアルメニアのように電気が無く凍える冬を過ごすことになるのかもしれません。これはオーバーでしょうか。でも、原発事故が実際に発生するかどうかなんて、専門外の人たちは現在ほどは現実的に想定したことは過去に無かったはずです。

■電力の供給は全方位で考えられる

電力供給の問題に立ち向かうには、発電ばかりが観点になる訳ではありません。

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まず、需要側といえば節電。関東の皆さんは、本当に全力で節電に取り組んでいます。何とか冷やせているエアコン、日中は蛍光灯さえ消された電車、ピークシフトで電源ケーブルを抜いたノートパソコン。何とかがんばれてますよね。これ、ずっと続けるとなると、ぞっとしますでしょうか。せめて休日シフトが無くなればとは思っていますが、これを機に積極的にピークシフトは強く意識する必要があると僕は考えています。

続いて、配電。スマートグリッドという言葉、聞かれたことがある方も増えていると思います。自家発電と電力会社からの供給をハイブリッドに使い分けるという理解が浸透しています。ただ、これ以外にも考え方があります。米国では、デマンドレスポンスと言って、生死に関わる物は別として、それ以外の電力を柔軟に計画停電できるネットワークが組まれています。この事実は、東京電力自身が2009年に総務省にて発表されています(『日本型スマートグリッドに向けて – 東京電力(平成21年)』)。

最後に、発電。自然エネルギーの活用が叫ばれていますが、太陽光発電はどうしても出力が安定しないことと、先の東電の資料ではピークパワーが必要な夏の需要に必ずしも応えられるものではないと記されています(11ページ)。火力も今はいいが世界情勢を鑑みたリスクヘッジが必要になることは間違いありません。そうすると、原発は直ちに停止できるものなのでしょうか、という議論もする必要があります。

同時に、需要側の自己防衛も本格的に検討を始める必要があります。今は太陽光発電がメジャーですが、都市ガスを使った燃料電池、ピークシフトを可能にする蓄電池システムなど、選択肢が増えてきています。

つらつらと書いてきましたが、要は電力供給の安定には様々な要素を吟味しなければならない、ことは間違いありません。

■東電の立場は苦しいのは自明 でも原発だけが問題なのではない

電力供給のハイブリッド化が進むと、東電の経営基盤に大きなパラダイムシフトが起こります。自分たちが形成してきた『聖域』に、他業種を踏み込ませることを認めることになるのです。NTTが引っ張った光ファイバーの上に、KDDIとソフトバンクが乗ってくるように、です。自動車会社が作ったプラグインハイブリッド車が蓄電池を兼ね、ガス会社が作った燃料電池発電システムが稼働する家庭を、東電が認めるでしょうか。

先の資料の18ページ(最終ページ)に、東電自身が「電力供給のスマート化は進展している」と言及しています。要は、僕らを信じろと、あの時は言っていたのです。でも、現状はそうではなくなりました。

ここで、東電の経営層がどう考えているか、僕は質問したかったんですが最後まで機会を得ることは出来ませんでした。ずばっと、デマンドレスポンスと火力の供給リスクについてだけでも聞けば、この話題の主要なポイントは押さえられると思っていましたが、そんな機会など得られるはずも無く。

■未来は現役世代が自分自身で責任もって作ろう

東電の個人株主の方は、恐らく老後の資金を安定運用するために買っていたのだろうと思います。でも、原発事故を機に、いや、今後起こるべくして起こった電力供給の安定性に対する課題がここでわっと吹き上がりました。しかし、総会でそのことを気にして発言している株主はごく少数なのです。

しかし、電気が無くて経済活動が行えなくなるのは、他でもなく僕ら現役世代です。その僕らが電力供給に関心を持つことが、未来の安定供給を担保するために必要な第一歩であると考えます。それは、原発の白黒、自然エネルギーの積極導入だけではない、一人一人がもっと幅広い興味関心と、その先にある意見を持つことであることを、僕は疑いません。それが世論となり、東電や国を動かすのではと期待しています。

製造業では、既に海外シフトが始まっています。このままだと、日本に仕事は無くなるかもしれません。そこまで追いつめられているのです。少なくても、経営陣を責め続けるだけで電力の安定供給が揺らいだ現実が解決するはずが無いのです。

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※参考文献

※追伸

  • IR担当に後日直接聞くのはいいですよ、と総会で言ってもらえましたので、もう少しまとめてから聞いてみようと思います。
  • 詳細な様子については今回は記事の趣旨と合致しないのであまり書いてませんが、聞きたい人がいれば個別にします。少なくても、新聞報道とはまた違った現実を知っていただけるはずです。

仙台へ牛タンを食べに行きつつ海を見る

■JR東日本パス なんと特急料金込みで1日1万円乗り放題

JR東日本から、東日本大震災復興応援企画として『JR東日本パス』が発売されています。JR東日本管内ならどこまで行っても1日1万円、特急は自由席なら乗り放題、指定席は2回まで乗れるという、非常にお得なきっぷです。

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僕もこのきっぷを買って、仙台に行くことにしました。震災から3か月経過してそろそろ落ち着いているから牛タンを食べに行けるかなと思ったことと、親戚がいるのでどうしているかなと訪ねようと考えました。

新幹線は那須塩原を過ぎると150km/h程度の速度でゆっくりと北上します。普段のはやては275Km/hですからゆっくりと思われるかもしれません。でも、1か月余りでこうして走ることができる東北新幹線の保守体制は称賛に値します。3か月前に、ここまで復旧できているとだれが想像できたでしょうか。

■駅前は落ち着いていた

普段より30分ほど時間をかけて仙台駅に到着です。仙台駅周辺は、落ち着きを取り戻しているように見えました。

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まもなく親戚と合流し、次の目的地へ。「えっ、何で一人で来たの?」「彼女とか連れてこないの?」とさっそく冷やかされたぜ。へへへ。

■牛タン!牛タン!

いきなり、今回の訪問の目的である牛タンを食しにまいります。利久さんにお世話になります。

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お昼前なのですが、大行列!といいつつ、予約をしてもらっていたのですんなりと入ることができました。早速、昼定食をオーダー。1人前と1.5人前があり、僕は1.5人前にしました。ごはん・スープがついており、ついでにとろろのオプションを加えました。

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おおお、仙台の牛タンは肉厚なんですよ!東京で牛タンを食べると薄いお肉というイメージがありますが、そうじゃない。カルビと同程度はあります。初めて食べる人はちょっとびっくりするかもしれません。僕も久しぶりに食べましたが、やっぱりすごいです。

■20年ぶりの松島へ

たらふく食べたあと、まったく何も考えていなかったのでどうしようかとなりました。そこで出た案がべただけど「松島」。いやー、べたですねw と普通なら話題になりそうなのですが、今回はちょっと悩みました。ご存知の通り、仙台の太平洋沿岸は津波で大きな被害が出ていたのです。でも、松島は比較的早く復旧したんですよ、という話を聞いて、それならということで足を運ぶことにしました。小学校2年生に行ったっきり、20年ぶりくらいじゃないですかね。

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近づくと、確かに言われたとおり、想像していたほどひどくはありませんでした。遊覧船はいつも通りお客さんをたくさん乗せて島々を回っていましたし、みやげものやさんは半分くらいが営業を再開していました。

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さて、定番の松島めぐりの遊覧船(50分)に乗ります。改めて乗ってわかったのですが、デッキでかっぱえびせんをもって立っていると、カモメがわっと寄ってくるんですねwww それもくちばしでつかむのが非常にうまい。そして、観光客がかっぱえびせんで餌付けしてくることをよく理解している!

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のんびり島々を眺めながら、カモメと戯れるってのは、いいもんですよ。

■島々に守られた松島

しかし、なぜ日本三景の一つである松島は他に比べて被害が少なかったのか。それは、島々が天然の消波ブロックのような役目を果たし、本州側に到達するころにはずいぶんと勢いが弱くなったんだそうです。

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しかし、そうでなかった地域はどうだったかというと、あらゆる人工物を乗り越えて津波が襲ってきました。仙台駅に戻る際に通った塩釜で、その様子を見ることになったのです。

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ここの場所、ご存知の方もいるかもしれませんが YouTube に当日の状況が撮影された動画があがっています…

同じ場所の動画は、『YouTube – 東北地方 太平洋沖 地震 宮城県 塩釜 津波 マックスバリュー塩釜店 映像』としてもあがっています(Embed出来ないのでリンクのみ)。
東京にいた僕も大変な思いをしたのですが、仙台周辺の沿岸ではそんなこととは比較にならない状況が繰り広げられていたのです。ほかにも、積み上がった廃車、遥か先の陸地に打ち上げられた漁船、10分歩いた先にも到達した津波の痕跡が、その威力を十二分に伝えてきたのであります。

親戚にはこう言われました。「覚悟無くして、今の名取や気仙沼に向かってはならない。ヘコんでしまうだけだ。」と。仕事で行ってきている本人が語る話ですから、僕はそれに従うだけです。

■東北へ旅に出よう

確かに沿岸部は大変な被害であり、福島原発の問題は継続しています。

でも、仙台駅周辺をはじめとして、普通に観光できる状況は戻ってきています。同じ日に、知人が岩手に足を運んでいたりもします。ですから、まずは東北に足を運び、事実を知り、そしてお金を使う。被災していない僕らが個人レベルですぐにできる、貢献なのではないでしょうか。JR東日本パスは7月もありますしね!

もし、本格的に貢献したいと考える人がいれば、事前の情報を集めるという意味でもこう言った日帰りのライトな訪問のプロセスを間にくわえるのはどうでしょうか。より明確に覚悟が出来ると思います。

そして、僕にとっては、東北の親戚・知人が全員無事だったことが、何よりなのです。

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仙台, 2011 – a set on Flickr


大学院での講義が始まりました

この4月から、筑波大学GSSMでの講義が始まりました。どんな調子でやっているか、ちょっと書き残しておこうと思います。

■予想通りのハードスケジュール

こんなきついスケジュールは、株式投資システムの開発をやっていた頃以来じゃないかと思います。

多くのクラスメイトはM1の時に単位をほとんど取りきり、M2で研究に集中するというプランを立てます。そして、講義は火曜日〜金曜日の夜、そして土曜日は終日行われます。そのため、M1の前半は講義づくし!僕は、会計や経営戦略論に頭を悩ませ、数理系の講義で演習をガッツリこなし、コンピュータサイエンス系の講義を自分のペースで取り組む、そんな感じで講義を受けます。

また、課題(=宿題)はもう毎回のように出ます。ボリュームも満点。このGWは狙ったようにガツンと課題が出ており、涙目ここに極まります。今のところは期限に間に合わなかったという状況は回避できていますが、この先もそれが維持できるのかは自信がありません。食らいつくまでです。

もちろん、仕事は勤務時間こそ上司にコントロールしてもらっていますが、やる内容はほとんど変わっていませんからやりくりを考えなくてはなりません。パフォーマンスが下がったなんて見られたら、しゃくですからね。

■研究

GSSMはMBA(※1)を取れるということになっていますが、実態は『経営システム科学専攻』の名の通り、研究をしっかりやることがポイントになります。僕はじっくりと未知の分野に取り組みたかったので期待通りですし、その研究の基盤を固めるためのものとして講義があると考えていますので、何とか乗り切りたいという気持ちです。

多くの大学院では、おそらく入学時点で主指導教員が決まっているかと思うのですが、GSSMでは1学期中に決めることになっています。それにあたって事前に経るプロセスとして『研究計画の概要発表』があります。これは、クラスメイトはさることながら、GSSM専属の教授から自分の研究の方針についてとても厳しい指導が入ります。言い換えますと、この先に待っている研究の厳しさを、最初に味わうことになるであろうイニシエーションなのです。僕は5月下旬にあるのですが、戦々恐々としている次第です…。論文発表以上にビビってます。

■集団戦法

さすが社会人大学院でありまして、各分野のエキスパートがいます。自分の分野となれば朝まで一家言話せるような人ばかりです。そんなご縁を通じて、ある意味「スムーズに」課題や研究を進める関係作りが大切になります。

しかし、僕のような技術者は、営業や企画などをやっている人に比べたら「非コミュ」なのです。仕事の中でコミュニケーションをとることがどんなに易しいもので、かつ技術者という肩書きである程度見逃してもらえたのかということを痛感します。黙っているのはもってのほか、だからといって嫌みの無い程度にアピールするというのはバランスが難しく容易ではありません。

でも、もたもたしていては全くらちがあきません。少なくても、クラスメイト同士の情報交換が無ければ、研究にたどり着くまでに必要な単位取得さえもままならなくなります。実際、僕は会計がマジでヤバい(苦笑)。悩んでいる暇はない、ということだけはわかりました。クラスメイトのネットワークを効率的に使ってよりよくレポートをこなしている人を見ると、焦らないはずがありません。

■勉強って楽しいものなのか

途上国の子供が、時折「学校で勉強してビッグになるんだ」ということを語るドキュメンタリー番組をご覧になられた方がいらっしゃるかと思います。僕も、つい最近までは「勉強は辛い」としか考えたことがありませんでした。

でも、今は違います。こうして大学院で学ぶ機会を得られたことが、とてもうれしくてたまりません。昔の僕を知る人だと『とうとうあいつは気が違えたか?』と思われても仕方ないでしょう。でも、僕が10年間の間にどうしても必要だ、と思い続けたことを今まさに取り組むことができているのです。集中して勉強に取り組むことが出来るのは、極めて貴重な機会なのです。

学歴が無くて、コンピュータサイエンスの知識が無い状態で技術者もどきを続けて、そして未来につながる力が無いのを怯えつつを10年過ごし続けました。それを自分の力で脱し、切り開くチャンスをもらえたのです。講義はしんどいのですが、それを厭わず研究のステージへ踏み出すための通過点と思えばやりきるしかありません。

10年前の僕は、勉強なんてあほらしくて、授業中は寝るし宿題もかまけるようなひどい生徒でした。それを後悔することはありますが、それはもう戻ってこない時間です。また同じ状況を繰り返すのは全く学習していないことに等しく、次は無いというプレッシャーを抱きながら毎日を過ごしています。

M1は時間との勝負を続ける毎日になります。これまでのおつきあいがちょっと疎かになるかもしれません。その節は、どうか大目に見ていただけたら幸いです。

※1 『経営システム科学』という、コンピュータサイエンスと経営を絡めたという意味を持った学位もあります。僕はMBAのどちらにするかはまだ決めていません。というか、先ずは単位を取らねば!

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2011年3月の滑走記録 – 震災に負けない

2011年3月。東日本大震災が起きた、本当に大変な月でした。特に、東北の被害が甚大であり今でも全く安心できない状況であるのはご存知の通りです。当然、東北のスキー場はほぼ稼働できなくなりまして、3月11日がシーズン強制終了日となってしまったスキーヤー・スノーボーダーの方も多かったはずです。

実は、僕は3/12〜13と『ITインフラエンジニア スキー・スノボOFF』という11人の参加者があるイベントを企画しており、さあ明日は思い切って滑ろう!と考えていた矢先の震災でした。メンバーとは twitter を通じて何とか連絡が取れたものの、メンバーのほとんどが帰宅困難者となりとてもスキーへ行ける状態ではなくなり、中止を余儀なくされました。本当に残念です。

その目的地であった越後湯沢は、地震そのものの影響は少なかったものの、直後は新幹線が止まりとても行ける状態ではなくなり、そして今の自粛ムードの影響を受け、ほとんどのスキー場がクローズしてしまいました。

ただ、そんな中でも、何とかオープンしているスキー場が残っていました。そのかいもあり、震災後も時間を見つけてシーズン最後の滑りをより深く楽しむ時間を持つ事ができました。

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白馬五竜スキー場: 1日
神立高原スキー場: 1日
会津高原だいくらスキー場: 1日(チャリティイベント)
総滑走日数: 3日

でした。滑走日毎の詳しい話は『[スキー] – 週刊 スポーツこえむ – 自転車とスキーの記録』をご覧ください。

■スキー検定 2級合格 … 新しい境地へ

実は、3月は僕のスキーヤー生活の中で、大きな山を越えました。震災前ですが、白馬五竜スキー場でスキー検定 SAJ 2級にようやく合格しました。スキーは、2級に合格する技量があってはじめて、コブ・パウダー、そしてパークなどなど、幅広い楽しみへのチャレンジの扉が開かれます。

今回、検定に合格できたのは、1月末の岩手遠征が大きな効果をあげました。バーンがいいとはいえ、3kmも一息で滑れば力がつかないはずがありません。この滑り込みのおかげで、特にカービングターンをやろうとした時のポジションがずいぶんと改善されました。

スキーは『知識』のスポーツでもあると思うのです。まずはスキースクールで適切な滑り方と練習方法を覚え、ある程度慣れたらどんどん自分で…できれば自分より上手な人と一緒にフリーランに取り組むと、とてもいい効果を得られます。僕のような身体能力がそれほど高くないスキーヤーでも、やり方を覚えるとずいぶんと滑り込めるようになりますから、挑戦している人はぜひ最後まで諦めないでください。

そうそう、五竜名物 かに鍋もいただきました!

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■スキーヤーだったらコブを滑られないとね

いやー、ボーダーの人にとって、スキーヤーってのはコブを滑る事ができてなんぼ!位に思われてしまいます。しかし、僕は滑る事ができなかったのです…。何度、トラバースして逃げてきた事か。

しかし、もう自分は2級持ち。1級を目指すにはコブは避けては通れません。いや、そんな事より、とにかく滑る事ができるようになりたい。ということで、震災後にかろうじてオープンしている場所があると観光案内所の @snowcountry_ さんに教えていただき、何とか神立高原スキー場 (@kandatsupegasus) へ足を運ぶことができました。ここはモーグルバーンもあるので、コブの練習にはもってこいです。

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もう悲しくなる程に空いていたのですが、スキーのプライベートレッスンはとてもスムーズに進みました。2時間だけでしたが、レッスンの効果はすぐに出まして、1コブ乗り越えるのがやっとのところを、1〜2回の休憩こそ挟むものの1つのレーンをしっかりと降りる事ができるようになりました。

コブは、滑られるようになると整地とはまた違った刺激があり、「もう1本!」と思わず言いたくなります。来シーズンは、直線的に滑る事ができるよう、そしてもっと急斜面や自然に掘られたコブに柔軟に対応できるような力をつけて行きたいですね。

そして、震災直後の業務対応でピリピリしていた状況が少し落ち着いた時に、こうして滑るチャンスがあったことが何よりうれしかったです。帰りに、越後湯沢駅で米・日本酒、そしておにぎりを買って帰りました。

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■チャリティイベント だいくらでハイクら

2月にお世話になった会津高原だいくらスキー場。ビッグではないものの、斜面構成のバランスがよくお気に入りになったスキー場の一つでした。しかし、例に漏れずだいくらスキー場さんも震災後にクローズを余儀なくされました。

しかし、 @daikurastaff さんをはじめとしたスタッフのみなさんが、「ハイクアップでよければ」(自力で登る)と言う条件で、そして参加費を義援金として福島県へ贈りましょうとチャリティイベントを開いていただけるという事となりました。

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ええと、ハイクアップイベントですが、100人以上来ています。また、写真もよーく見てください、もうリフトはかかっていません。それでも、みんなここに来ている。心からスキー・スノーボードを愛し、だいくらスキー場が好きなんだなと思いました。スタッフの方の twitter 上の呼びかけで始まったこのイベント、今まで経験した事の無い楽しい時間となりました。こうして足を運べる機会を作っていただいた皆様、一緒に滑った方々、そして燃料事情が大変な中でも車を出していただいた方々、どうもありがとうございました。

■被災している人もいる でも自分は自分のできる事を続ける

不謹慎論が広がっている首都圏。確かに、余り派手な事は慎むべきなのかもしれません。そんな中、観光産業は誰かが足を運び、遊び、食べ、そして泊ることで経済がまわるものです。自分の身動きが取れなかったり、危険な場所なら仕方ありません。しかし、正常に活動できる人が正常に営業できる場所にまで行く事を控える必要は、あるのでしょうか。経済が冷え込めば、いずれ自分にも影響が出ます。

来シーズンは、またスキー場に遊びに行きたい…特に東北エリアに行きたい、そんな気持ちです。スキー場で滑り、うまいものを食べ、そして皆さんともまたお会いしたい。

大学院が始まりますから、今シーズン程滑る事はできないでしょう。それでも、少しは時間は作れるはず。だって、これまで仕事量は全く変えずに、大学院の受験勉強をして大学院に合格し、そしてスキーを滑り込んで2級にも合格できた訳ですから。僕にはいくらでも時間の絞り出し方があることを身を持って知っています。

また、来シーズンもゲレンデでお会いしましょう。

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Ski, 2010-2011 Season – a set on Flickr
だいくらでハイクら 2011 – a set on Flickr

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東日本大震災から10日

2011年3月11日 14:46に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から10日。首都圏は喫緊の問題を乗り越え、この先に待っている長期戦にシフトして行く状況である。

いろいろあった。東日本の皆様、本当にいろいろあった。まずは、自分の出来事をまとめようと思う。

■当日の状況

twitterの3月11日のログを見ると、会社がある池袋は2〜3分ほど遅れて大きく揺れ出した。最初は「ああいつもの揺れか」とみんなで話していたものの、しばらくして大きな揺れに変化。これはただ事では済まないと会社にいる誰もが感じた。しばらくして、仙台が津波に飲み込まれて行く様子が生中継される。がさっと街が津波に飲み込まれて行く姿は、まるでパニック映画のワンシーンだと錯覚するくらい現実離れした風景であった。

同時に、僕は急いで会社で運用している全システムのヘルスチェックを行っていた。幸い、全てOK。電話は発信規制で通じなったものの、データ通信は生きていたので個々人での生存確認はもっぱらメールとtwitter。岩手県から首都圏まで、知る人はみんな無事が確認でき良かった。

1時間ほどして、帰宅指示の全社アナウンス。しかし、電車が動かないため会社待機だが、全く仕事は手につかない。余震も断続的に続いている。同時に、帰宅困難者問題が顕在化し始める。また、会社がある建物は少し壁が崩れ、本棚も倒れており、正直いているだけで不安になる。

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しばらくして、17時頃に都電が動いたというtwitter上での未確認情報を頼りに、同じ京成電車を使う同僚とともに都電の駅へ(花粉症なので3月は電車通勤)。大混雑も大混雑で1時間待ちだったが、すし詰めの都電に運良く乗る事ができた。家路の途中、多くの人と電車を始めとした交通事情の情報交換を行いながら進んだ。会う人すべて、冷静かつ協力的だった。

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次に、都電を三ノ輪橋で降り、自宅がある葛飾区まで6kmを歩く。周囲を見渡すと、この程度で済んでいる僕はどうやら相当恵まれているようだ。日光街道(国道4号線)や水戸街道(国道6号線)では、荒川を越えて数十キロを歩こうと覚悟している人がたくさんいた。写真の場所(南千住)は普段は自転車通勤で通るのだが、普段は少し人が通っている程度なのにこの日はまるで渋谷センター街を歩いているようだった。道路は、普段は閑散としている路地の隅々まで渋滞しており、歩いている方が早いくらいである。

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自宅には20:30に到着。17:10に会社を出て、3時間と少しで帰れた事が本当によかった(通常45分程度)。電気・ガス・水道を始めとしたライフラインは全て無事。疲れを癒すため、まずはお風呂を沸かして落ち着く事にした。そして、京成電車は終日運休となったため、同僚は僕の家で泊る事に。

その後、3/12〜13に行うはずだった越後湯沢でのスキー・スノボOFFはメンバーから帰宅困難者多数であることを twitter で連絡をもらっていたため催行不能と判断、キャンセルの連絡をしようと電話をするが、全くつながらず。ダメ元でメールを送ったら、連絡がついた。状況が状況なので、今回はキャンセル料なしでいいというお言葉を頂いて、本当に恐縮だった(この後、越後湯沢も地震に襲われスキー場はクローズ)。この記事を書く現在も、荷物送り返しの段取りがかなり悩ましい状況ではある。

自宅に帰った後も、twitterなどで帰宅困難者の方に向けて葛飾区内の避難所情報などを送った。深夜は危ないし、さらに歩き疲れているだろうから、休める場所で休んでもらった方がいいと思ったからだ。明日になれば、電車が動くかもしれない。それまでの辛抱だ。

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どうやら、深夜になって地下鉄と一部の路線が動き始めたようだ。ただ、人が殺到して乗れたものではなかったと、後で聞いた。この日は、正直一人にならなくてよかった。帰宅時から2人でいたため心細さからは解放され、精神的に安定させながらケガも無く帰宅する事ができた。一人で乗り切るには、この日の出来事はあまりに重かった。

■仕事の問題

問題は、月曜日からの仕事だった。僕は人が少ない中小企業に勤めているのでいろいろな仕事を兼務しており、マネージャや開発者であるとともに、システム管理者でもあった。そのため、これからの準備が求められた。

土曜日の段階で、計画停電の可能性が示唆されていたため、次のアナウンスや対策を事前にとっていた。

  • 基幹システムは自家発やUPSで保護されている事
  • テストサーバは停電に備え全てシャットダウンを行う
  • 電圧変動や停電に備えた機材利用方法説明 (ファイルをこまめに保存するなど)

しかし、こんなものでは済まされなかったのだ。会社に来れないスタッフが大勢いたのだ。これたとしても、余震で帰宅が困難になる可能性がある人も数多く発生。そこで、業務続行のため在宅勤務という選択肢があがった。

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うちの会社のシステムは、多くの作業を在宅勤務にて対応できるようなシステムを構築してはいた。ただ、家に作業環境を作っている人はまれ。いてもプログラマくらいである(プログラマは家でも趣味でよくプログラムを書く)。これの段取りに正直手こずった。そして、自宅にいても計画停電対象のスタッフが数多くおり、停電に巻き込まれ仕事もスムーズに進まない。僕自身も、電気こそ来ていたものの対応に追われたため開発仕事はほとんど進める事ができず悔しい想いをした。

また、在宅時や移動時の連絡手段をどうするかルールを決めることも非常に重要な事であった。システムとしては準備はあった。ただ、これを回すことになる僕の部署の上長は非常に大変そうであった。顔が見えながら仕事ができる事がいかにスムーズなものなのか、改めて思い知った。

通勤は、14日だけは花粉症を押して自転車で行った。しかし、自転車があふれ、逆走・信号無視が多発する路上に、命の危険さえ感じた。自転車は歩行者ではない。何度となく路上で「逆走するな」と注意しながら走った。そうしないと、前に進めなかったからだ。

電車は金曜日になるまで混乱が続いていた。特に、木曜日は冷え込んだためよりいっそうの節電を呼びかけた際に減便があるとなり大混乱。自分は、帰るのをしばらく諦めて銀座の行きつけのバー「忠」に足を運び、混雑をやり過ごしつつガス抜きをする。山手線だけは空いていた。そして、「忠」のナポリタンをいつも通り完食した。正直な所、木曜日の段階では飲まないとやってられないくらいキていた。

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22日以降からどうなるかは、また考えなければならない。余震と電力不足は、まだ続いているのだ。

■生活のしかた

自宅の前を走る京成電車がほぼ正常運行になったのは2日後の日曜日。こんなときではあるが、気分転換に美容室へ通うためにユーカリが丘まで足を運ぶ。これはよかった。散髪後のすっきり感が、よりよく感じられた日になった。

火曜日は弟が東京に出てくる日だった。普段は正常に電車が走っていれば難なく自宅まで来れる場所なのだが、京急がぼろぼろの状況であり、迎えに行く事となった。正直、土地勘が無い人にとって、ダイヤが崩壊した東京の電車に乗って目的地を目指すのは極めて困難である。来る際、弟が東京で不足していた即席めんとパンを買ってきてくれたのには助かった。しばらく居候の予定。

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飯は、23区内において即席系を避ければ問題なく調達できる状況である。ガスが来ているので調理も可能で暖かいものをしっかりと食べられる。また、節電は欠かさず行うが計画停電は無い。そして、自分のベッドで眠る事ができる。何て恵まれているのだ。

車はガソリンスタンド前が給油待ちのための大渋滞を引き起こし、給油しているのか浪費しているのか本末転倒な状況。売り切れたスタンドも続出していた。必要な人間以外は給油するものではない。

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この週末は、自分の家系の先祖代々から続くお墓を見に、茨城の土浦へ行った。18日に復旧したばかりの常磐線 取手〜土浦は70km/h未満、所々では最徐行をしつつそろりそろりと走っていた。動いているだけすごい。水戸まではしばらく通じないらしい。土浦では、崩れている家が出始めており、これより北はもっとひどい事になっているなと想像するには充分な状況であった。幸い、お墓は無事だった。

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投資の話も少ししよう。以前、スキーでご一緒した id:equilibrista さんのブログに『資金調達市場 – 投資の消費性について』 という記事があった。僕は、この記事に強く共感し、東京電力の株を買った。みずほ銀行のATMが止まったのでその日とは行かず、大学院の学費も払ってし まったため額は少なくなってしまったが、それでもしっかりと買った。僕の仕事は東京電力の電気があってこそ。逆張りとかそう言う話ではなく、電気の復興こそ経済復興の要と信じ、投資をした。

今でも不自由をしている同僚・知人を思うと、自分は動けるだけ精一杯動かねばならない。そのために今の極めて恵まれた環境があると考えたい。

■東北をはじめとした知人・親戚との連絡

最も早く連絡が取れたのは twitter だ。携帯電話は通話規制こそかけられていたものの、データ通信は混雑していたものの絞られていなかったのだ。だから、首都圏はさることながら岩手・宮城・福島で基地局が生きているエリアの人ともすぐに連絡が取れたのだった。ただ、その後に携帯の電池・UPSや自家発が止まり、電気が復旧し始める間の2〜3日は連絡が取れなくなった人が何人かいたのには心配した。

次はメール。携帯はキャリアのメールシステムがかなり遅延しており、11日の夜遅くまで厳しい状況であった。ただ、PCのメールは問題なかったため、こちらを使って実家を含め多くの人と連絡を取った。

そして、電話。歳をとった仙台の親戚とは、福岡の実家から11日の夜遅くにようやくつながったらしい(訂正)直後にすぐつながったが、その後はダメだったとの事。仙台は甚大な被害を受けているので、生きている事が確認できただけでずいぶんとほっとしたものである。同時に、歳をとった人との連絡はこれから先も困難になるのではという不安がよぎった。

最後に郵便だが、3月9日に送ったはがきが19日に岩手に届いたらしい。2〜3日の所を10日かかったが、届いた事がすごいと思った。ロストしなかったのである。

ちなみに、171は使っていない。171を使うほど通信回線状況が悪い所に知人・親戚がいなかった事が大きかった。ただ、まだ連絡が取れていない人や通信回線が不安定な人は引き続き使うのはありかもしれない。

■この一週間の教訓

もう少し落ち着いた時に増えるかもしれないが、すぐにまとめられそうなのは次の事である。

  • 一人でいない
    一人になると、これまでを思い出す事で強い不安に襲われる可能性がある。一人暮らしの人は、できる限り同僚や友達と過ごす機会を作ってバカ話でもいいから語り合おう。僕は、当日は同僚と、今は兄弟で過ごしている。飲みにも足を運んでいる。
  • twitter はすぐに連絡が取れるので利用する
    通信さえ生きていれば twitter ですぐに連絡が取れるはず。ただ、ここ数日は情報・思想が錯綜しているので、余り見続けると逆に頭を悩ます事も多々あり、気をつけて。距離をしっかり置けばいい。
  • テレビは見すぎない FMラジオも使おう
    震災当日、携帯のワンセグテレビは非常に役立った。ただ、今は不安になるような内容も少なくなく、冷静に見続けられない内容もあると思う。そんな中、FMラジオは音楽が流れ、同じ経験をした人同士の情報交換が盛んに行われており、気分転換になるのでおすすめである。FMラジオは一部の au の携帯や最新の iPod nano でも聞ける。PC等で受信できる radiko もある。

首都圏でも「被災者の事を考えると…」と、キーワードのように言葉が出る毎日。僕が思うに、程度こそ東北より緩いが首都圏も被災地である。事実、首都圏は電気が止まり電車も正常に動かず、通常通りの業務にあたれていない人が数多くいる。まずは、自分たちが正常に経済活動を推し進められるよう復興せねばなるまい。そのために知恵を絞り体を動かそう。浪費はダメだが、消費を取り戻そうではないか!

■今後どうしようか

正直、今は自分とその近辺の事を整理し行動する事で精一杯だ。

東京の電力不足は年単位で続くのでは、と腹をくくっている。業務を継続するためにどういう対策をとればいいのか、気持ちを落ち着けて最適解を導きたい。そのためには、今まで何が起きていて、どんな対策手法があるのか、まとめる事から始めるつもりだ。

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大学院の講義が月末から始まる。震災が無くてもボリューム感満点の毎日が始まる事はわかっていたため、これはさらに重くなるなと想定している。始まってみないとわからないが、どこまで自分自身を支えながら仕事と勉強を両立できるか、不安がある事は認める。ただ、応援してくれた多くの方への感謝を込め、全力で乗り越えたい。

そして、落ち着いたらまた東北方面のスキー場へ遊びに行きたい。東北に住むみんなとまた会って、楽しく滑りたい。僕はプロの災害救援活動を行える人間ではないので今はどうする事もできないのだが、落ち着き始めた時に経済を回す事こそが自分にできる復興活動だと信じている。お金あっての生活だ。

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今はしっかり踏み留まろう。明日は、確実にやってくる。


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    昼は要求定義からインフラ構築まで担当するサーバサイド技術のSE、夜は焼酎をこよなく愛す兄ちゃんです。
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