NHK POP JAMも終わる

NHK POP JAMも終わる

今日(テレビ的には昨日の深夜)で、NHKのPOP JAMが終わってしまいました。
放送時間がころころ変わるPOP JAMでしたが、なんだかんだで14年続いたのだそうです。流行り廃りの激しいJ-POPの業界でここまで続けられたことは、裏で多くの努力がなされたことなのだろうと思います。
ちょうど、J-POP好きなら必ずと言っていいほどPOP JAMを見ていた年代の僕としては、ちょっとした寂しさはあります。

そうそう、番組が始まったころから21世紀になるまで、特に1997年ごろは今とは比べ物にならないくらいJ-POPがあふれ、そして売れていた時代でした。もちろん、一杯聴くことになりますから、一杯カラオケで歌うわけです。
しかし、「音楽も落ちた」とか「フォークとかと違って残らない」と言われた時期でもあったと記憶しています。確かに、僕自身は70年代や80年代のJ-POPと違って歌詞をはっきり覚えてはいません。しかし、Groove感という、あいまいではあるけども本能に訴えかけるこの感覚が、すごく鮮明に残っています。

時を同じくして、このころからインターネットが「ビジネス」として活用され始めた時代でもありました。
オン・ザ・エッジ(そうです、今のライブドアです)がglobeのサイトを作って一目置かれた存在となった、あのとき。ベンチャーのさきがけとして、ハイパーネットが一世を風靡した時代。

今でこそ、堀江さんは世間から悪人のように見られています。もちろん、株式投資をやっている一人として、ファイナンス的にあのやり方は閉口します。でも、僕は一人の技術者として、堀江さんは「やっぱすごいな」と思うのです。あの時代に、時代を先取りしてかつインターネットを豊かにした技術をもたらしたのだから。そういう足跡は、僕を含め技術者の人はもっと見習ってもいいんではないのでしょうか。
あのときに活躍していた人と実際に話をしたくて、ファイナンスを学ぶを兼ね、元ハイパーネットの板倉さんのセミナーへも行きました。僕は、あんなにドラマチックな会社のプロセスを生み出す人はどんな人なんだろう?と思って少しでも多くのことを知られれば、との想いで行動した結果得られたものは、それはそれは今の僕では到底及ばない、高い行動力と判断力、そして「見えない部分」が一杯あるということを知るのでした。

僕が自分用の1台目のコンピュータを手にし、インターネットの波に飛び込んで、もうすぐ10年になります。
10年一昔だなんて人は言いますが、僕にとっては今に続く「源流」、言い換えれば「基点」であって、まったくもって「昔」とか、もっと言うと「終わった過去」なんかではありません。
間違いなく言えるのは、10年前まさに活躍し始めた人たちで世間様が「成功者」と見た人は、決して答えは教えてくれない。しかし、そのプロセスはいろいろなところ、いろいろなチャネルで語ってくれています。

今、この一瞬に感じるのは「まさに動け。まさに作れ。まさにアピールしろ。」という言葉です。
先の話にあがる一握りとなった人は、まさに動き続けた後にふと振り返ったとき、いつの間にか大きな能力を勝ち取っていたのかも知れません。

しかし、POP JAMからよくこんな話に飛躍したもんだ、と、書いている自分がちょっと不思議です。

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