カローラツーリング MT 1.2L ターボを納車 – 今は数少ないMTのファミリーカー

久しぶりに、自分の車を購入しました。カローラツーリングです。それも、純ガソリンのマニュアルトランスミッション車(MT)です。ハイブリッドどころか、純ガソリンのオートマチックトランスミッション車(AT)でもない、まあ好きじゃないと選ばない車種です。先月、教習所に行き直していたのはその伏線です。

10/16(金)に有給を取って(!)納車してから10日ほど走って、約1,000kmとなりました。自腹を切って買った自動車の、ファーストインプレッションをまとめます。

5節「仕様について」「ところでなぜMTを選べたのか」「まずは1,000km弱走ってみて」「最近のトヨタのMT車について」そして「良いところとそうでないところ」に分けて書きました。巷のメディアに掲載されているレビューで書いてなさそうなことを中心に触れたものの、長くなってしまいました。

仕様について

8月のお盆前に注文して、2ヶ月ほどで納車でした。かるーく、仕様をまとめます。

  • モデル: 2019年 WxB (NRE210)
  • 色: ホワイトパールクリスタルシャイン
  • エンジン: 8NR-FTS 1.2L 直噴ターボ (レギュラーガソリン)
  • トランスミッション: 6MT
  • タイヤ: YOKOHAMA BluEarth-GT AE51 215/45 R17 (BridgestoneかYOKOHAMAかは選べないそうです)

装着したオプション(一部)はこちら。

  • 寒冷地仕様
  • ブラインドスポットモニター (BSM)
  • シートヒーター+ステアリングヒーター
  • ナビ: 9インチ ディスプレイ
  • ETC 2.0+ビーコン受信機能
  • リアフォグランプ

だいぶてんこ盛りです。なお、MTのグレードはWxBしかありません。寒冷地仕様は、スキーへ行くため用です。リアフォグランプは、以前に深い霧や豪雨の中、高速道路を走った際にその重要性を感じたことがあったためつけました(欧州車だと標準が多い)。ヘッドアップディスプレイ(HUD)は、相方から「メーターばっかり見て走って危ないと思うからないほうがいいのでは?」と言われ、やめました。iQの充電器もどうせiPhoneをCarPlayでつなげて使うので要らんと想定してつけなかったものでして、実際自分には不要でした。

購入にあたっては、千葉トヨペット 松戸店(トヨタ勝又グループ)さんにお世話になりました。東京に住んでいるのに千葉である(といっても隣の街です)理由を聞きたい方は直接どうぞ。丁寧に対応していただきました。ありがとうございました!

あと、購入時に比較したのは、MAZDA 3 FastbackAudi A3 SportsbackVOLVO V40でした。ステーションワゴンが好きなんですよ、ええ。選定の際、欧州車は家族会議でなくなり、残ったMAZDA 3は感触こそよかったのですが、後ろが見えづらいのが不安になり断念しました。

ところでなぜMTを選べたのか

家族で、僕しか自動車の免許を持っていなかったからです。「奥さんが認めたの?」と聞かれる人がいますが、うちの相方は大型自動二輪の免許しかない(これも驚かれます)ので、運転できないのです。

ただ、買うにあたって話があったこととして、「購入資金は全額自腹」と「教習所に行き直す」がありました。前者は今までレンタカー・シェアカーで賄えたのだから、買うとなれば趣味の範囲でしょう、と言う理由です。後者は、MT車に十何年ぶりに乗るにあたって、改めて練習したのは非常に大きな収穫がありました。MT車を久しぶりに買おうと考えている方は、騙されたと思って教習所へどうぞ。坂道発進、できなくなっているかもですよ…!?

まずは1,000km弱走ってみて

色々気づくことがありますが、とりあえず「これはいいなー」と思った点をまとめます。

トルクフルな1.2L 直噴 ターボエンジン

アラフォー以上の方は、1.2L?コンパクトカーですか?という排気量に見えるはずです。でもです、このエンジン、大変トルクフルです。1,500rpmで最大トルクの185N・mが出るとカタログにはありますが、実際のところそこで十分なトルクが出ます。なので、街中で走っていても大変安心、高速道路でも家族3人乗車で平坦なら5〜6速のままで走っていても速度調整の範囲の加減速は大変容易です。それどころか、昔の車だとノッキングして前に進まない1,000rpmくらいでも進んでしまいます。とはいえトルクバンドは押さえましょう。

ギヤを入れる目安としては、3:4:5:6速 = 40km:60km:80km,100km/h、という感じです。6速 100km/hで1,900〜2,000rpmくらいで回っています。非常に低回転ですね。燃費は、高速メインで今のところ15km/L台を表示しています。

実は、このエンジンは初体験ではなく、昨年カローラスポーツのATを借りた時にその使い勝手の良さを体感していたので、期待通りでした。MT回帰組にとって、非常に安心して扱える懐の深いエンジンといえるでしょう。

なお、まだ慣らし中のため、ぶん回したことはありません。ただ、このエンジンはぶん回す感じのエンジンではない気がします。これはまた改めて。

高架の継ぎ目を乗り越えたときやコーナーの安定性

実は、レンタカーで、何度もカローラシリーズ(スポーツ・セダン・ツーリング)は借りて乗っていました。それも、月2回くらいのペースですから割と頻度は高いはずです(なのでトヨタレンタカーはゴールド会員グレードだった)。その上で申し上げます。G-Xグレードと、WxBグレードの乗り心地は別物です。高架の継ぎ目の乗り越えの収束具合や、コーナリング中のロールの収束速度も別物です。今までのはなんだったのか、と思うくらいに。

アラフォー以上の方は、トヨタのファミリーカーはふにゃっとしたサスペンションだとか、ハンドルのセンターがわかりにくとか、そういうイメージを持たれている方がいるかもしれません。そんな方はぜひ、WxBグレードをお試しください。このスペックでこの値段なら、欧州車よりコストパフォーマンスがいいな、そう感じていただけるはずです。G-Xでいいや、と思っている方も、ぜひ試乗で乗り比べてください。全然違うのがわかるはずです(という話を営業さんにフィードバックしたくらい)。

とはいえ、レンタカーでも使われているG-Xのグレードでも、トヨタの車は変わったなー、いいなーと思ったのが購入のきっかけでもあります、とも付け加えておきます。

劇的に向上したシートのホールド性

僕が欧州車、特に以前乗っていたVOLVOで気に入っていたものがあります。それが、シートです。とにかく、日本車のシートってのは僕の中でイメージは良くありませんでした。ホールド性が低く、長時間座っていると疲れるのです。

しかし、WxBについているシートは、なかなかのものです。オーバー目かつ正常性バイアスがかかっている上で言うと、トヨタの車、劇的に変わったんだと感じました。納車直後に千葉の友人宅から交代しつつ中禅寺湖まで往復しましたが、二人ともそんなに疲れずに乗りこなすことができました。

また、家族を乗せて走ると、相方が後部座席の座り心地がレンタカー(G-X)と違ってよい、と話しておりました。グレード別で購入を検討されている方、シートの面でもぜひ比較して検討してみてください。シートの座り心地は疲れ方に直結するので大変重要です。

最近のトヨタのMT車について

レーダークルーズコントロールはどう動くのか?

これ、あまり巷で語られていないので1番目に書きます。MT車でも、レーダークルーズコントロール(アダクティブクルーズコントロール, ACC)が動きます。ただし、全車速追従ではなく、クラッチとシフト操作は手動です。MT車なので当然ですね。

普通に流れている急勾配ではない高速道路を走っている分には、80km/h制限なら5速のまま、100km/h制限なら6速のまま、ほぼAT車感覚で走ります。なぜなら、先ほど申しましたように、エンジンのトルクが太いので問題なく加速するのです。例えば、外環道で三郷方面から湾岸線や京葉道路に入る時に急勾配を登りますが、シフトダウンしなくてもパワーが足りないと感じることもなく、一定速で登ります。なので、とっても楽に走れます。

ただし、渋滞区間が近づき速度が落ちてきて、トルクバンドを外す1,500回転を切りそうな兆候がある場合は、シフトダウンは必要です。また、3速 30km/hを切ると警報が鳴り手動走行への切り替えが必要で、その後は今も昔も変わらないMT車としての渋滞の対応が迫られます。登り坂だと嫌ですよね…

上信越道の軽井沢に向かって登るところでどうなるのか、今度機会があれば試してみたいと思っています。

サイドブレーキがない!

さて、以下の写真をご覧ください。

アラフォー以上の皆様にはおなじみの、手動のサイドブレーキがございません!パーキングブレーキが電子制御なのです。教習所で坂道発進を習った皆様、これどうするの?って思われますでしょう。僕もそう思ったんです。しかし、最近の車はすごいですね。ちょうど、姉妹車のカローラスポーツのMTの特徴を説明した公式動画がありましたので、ご覧ください。

そうなんです、ブレーキを離した後も坂道で2秒間止まってくれる「ヒルスタートアシスト」と、進むまでブレーキを自動でかけ続けてくれる「ブレーキホールド」という便利機能があるのです。すごい時代ですね。なので、すぐ踏みかえれば発進できます。とはいっても、念のため、納車直後に20年間毎営業日、MT車で通勤している友人に稽古をつけてもらい、ブレーキホールド機能なしで安心して踏みかえで発信できるようになっています。

しかし、いまだにこの電子式パーキングブレーキの操作には慣れません…

iMTについて

最近のトヨタのMT車(YARIS, C-HRなど)には、iMTという機能があります。スタート時にアクセルを自動的に煽ってエンストの確率を減らしたり、スポーツモードにするとブリッピングを自動でやってくれるのです。

特に、ブリッピングは、普通に走っている分には僕のような回帰組が下手にアクセルを煽りながらシフトダウンするよりはるかに上手にやれます。これ、僕よりも先ほどから登場している20年ずっとMTに乗り続けている友人が感動していました。ガチャガチャやって、すげーと言いっぱなしですw もうびっくり。ただ、スポーツ走行で高速にシフトダウンするとさすがに追いつかず手動でヒールアンドトゥしないとダメではありました。

良いところとそうでないところ

個人的な視点になりますが、カローラツーリングの良いところとそうでないところを書きます。

よいところ

  • 経済的で実用的
  • 最近普及している電子制御はだいたいある
  • 良い意味で期待を裏切る運動性能

経済的で実用的なのは本当にそうで、レギュラーで15km/L走り、かつ日本車という修理時などもコスパも良い車です。

そうでないところ

こういうのも書かないとフェアじゃないと思うので書きます。

  • ブランドはあくまでもトヨタのカローラ プレミアム感はない
  • ロードノイズを割と拾う 気になる方はLEXUSかな?
  • めっちゃパワーがあるわけではない
  • 純ガソリン車はMTのほうがATより高い

まず、プレミアム「感」はないです。やっぱり看板はトヨタのカローラです。ただ、米国にいる元同僚とかは「カローラは良い」とか言ってくれたりして、日本以外での評価は違うのかもしれません。逆に、アラフォーより上の世代には「贅沢してない感」を出せたりします(?)。

次に、エンジンやロードノイズは結構拾います。静かな車が欲しい方は、LEXUSとかを買った方がいいです。逆に、MTだとエンジン音が聞こえるおかげで、シフトチェンジのきっかけを捉えるのに悪くはありません。

そして、この車、トルクはあると言っても、116psとめっちゃパワーがあるわけではないです。5月に限定 500台でゴールデンウィーク中に売り切れたらしい、170ps 2L NA(M20A-FKS)が採用されたグレードがもし標準でラインナップされたら、状況は変わるかもしれません。または、パワフルなグレードがラインナップされている欧州車を選ぶか、でしょうか。

最後に、なんと、AT車よりMT車のほうが高い!という事実があります。2020年10月時点で、税抜108,900円の差があります。エンジンが1.8L NA(AT)と1.2L 直噴ターボ(MT)の大きな違いがあるとはいえ、アラフォー以上の皆様にとっては、MTの方が安いという常識がもう通用しないことをお伝えします。

まとめ

ここまで、カローラツーリングを納車して1,000km弱走った上でのファーストインプレッションを書いてきました。1.2L 直噴ターボエンジンは非常に実用的で扱いやすいこと、欧州車の他のCセグメントの車にも負けない乗り心地とハンドリング、そしてAT車でもおなじみのレーダークルーズコントロールをはじめとした電子制御機能も100%ではないものの割と使えることをお話ししました。

MT車は、特にファミリーカーでは絶滅危惧種となりました。スポーツモデルでさえ高級車は2ペダルが主流です。それでもあえてMT車が欲しい方は、もう物好きとしか言いようがありません。ちなみに、先の友人と、同じ価格帯でもし好きな車に乗るとしたらと何かとなった際、MAZDA Roadster (ND型)という結論になりました。本当はRoadsterに乗りたいけれど、家族がいるしなぁ…という方に、良い選択肢の一つになればと思います。

そして、ファミリーカーにMTを残してくれたのは、個人的には豊田 章男 社長の想いが詰まっていると個人的には考えています。そして、豊田 章男さんが社長でいる限り、Fun To Driveにつながる取り組みが続くのではと期待しています。

ちなみに、大々的な納車式のようなものはなく、牧歌的な感じで納車を終えました。盛大なのは欧州車を買った時に経験したんで、十分です。

20年ぶりに自動車教習所に通う の巻

今月(2020年9月)はじめ、20年ぶりに自動車教習所にMT車のペーパードライバー研修へ行ってきました、というお話です。

この標識、ペーパードライバー研修の際に教習車に付けられる「認定教育 練習中」です。有効な免許を持っているので「仮免許 練習中」は外されます。行動でこれをみたときは「あー、この人はペーパードライバー研修かー」と生暖かく見守ってあげてください。

「なんでまた」「教習の感想」そして「20年前との違い」についてまとめてみます。

なんでまた

20年ぶりに自動車教習所?免許を失効したんですか?ペーパードライバーなんですか?と聞かれそうです。現状を話すと、ここ数年は月に2回ほどレンタカーを借りる程度のサンデードライバーです。免許を失効したわけでも、年単位で運転をしていないペーパードライバーというわけでもありません。

目的は、マニュアルトランスミッション車(以下、MT車)の運転の練習をやり直したかったからです。まともにMT車を運転していたのが20代が最後で、改めて運転しようとすると怪しいなと、実際水戸街道で渋滞の際にエンストした(お恥ずかしい…)ので学び直した方がいいと考えたためでした。

教習の感想

今回、家の近所にある東京都葛飾区の金町自動車教習所にて、ペーパードライバー講習を受講しました。3回シリーズで24,000円(税抜)で、任意で学科講習も受けられます。ただ、予約はほぼ1ヶ月先でないと取れない状況でした。というのも、春に昨今の状況で一時休業になった際に振り替えた人たちが夏に集中しているのだそうです。こんなところに影響が出ているとは思いもしませんでした。

1回目は、場内(公道に出ない)でMT車の特徴であるクラッチさばきの復習でした。スタート、シフトアップダウン、右左折、クランク、そして坂道発進でした。MT車に慣れることも大切なのですが、この20年でついていた悪い運転の癖も直されたりもしました。クラッチさばきは、クランクは問題なかったものの、坂道発進が完全に怪しかったのでじっくり復習でした。また、巻き込み確認やミラー確認こそしていたものの、ミラーで把握する距離感と死角確認が怪しいと言われてじっくり指導となりました。

2回目は、平日の夜の公道に出て、葛飾区+三郷市+松戸市の街中をガンガン走り込みました。葛飾区の細いバス通り(水元らへんですね)で赤信号冒進の自転車をやり過ごしつつ、国道298号線(外環道の下ですね)をキビキビ走ってきました。指導員さんから自分の知らない裏道を教えてもらったり、ヤバいポイントを聞いたりして、いろいろ参考になったのでした。

3回目は、休日の昼の公道に出て、葛飾区+松戸市の街中で自分が怪しそうだと思った場所をリクエストして走ることになりました。近所の常磐線のアンダーパス途中からの発進(坂道発進になる)、渋滞、踏切、そしてここの教習車が滅多に通らない金町駅北口前の通りを走るというメニューでした。昼は見通しが効くとは言え、夜とは違い車の交通量が多いためシフトチェンジのスムーズさが重要な回でした。

なお、2日目、3日目、どちらも仮免許ではあまり走らせない場所らしいです。しかし、葛飾区の金町周辺に住んでいると割と走らなければならない機会がある場所なので、指導を受けるには良かったのかもしれません。実際、3日目の指導員さんが、2日目のメニューは割と難しい部類に入るとのことでした。特に、金町駅北口前はバス通り+バス離合がギリギリの幅+人通り&自転車の通りが多く容赦なく横断し車道にはみ出してくる、というなかなかしびれるコースです。ここは歩いてても割と怖いので、車の運転は必然性がない限り避けています。

あと、教習車のカローラのセダンは、タコメーターがありません。後付けのタコメーターはありますが、僕の教習中は意図的に速度メーターにされていました。ないですねと話したら、エンジン音で感じてください、タコメーターなんて見てたら事故りますからね、と言われたのでありました。まあ、それはそうですね。

20年前との違い

せっかくなので、20年前に自分が免許を取った時と何が違うのかも3点まとめてみます。ただ、そもそも教習所が違うことと、僕は千葉県の北総地域(郊外)でとったので交通事情がまるっきり違う点はお含みおきください。

まず、指導員さんが優しいです。ザ・教官的な「こら、そんなんじゃだめでしょ!」とか、そういうことは言われませんでした。思わず、今の指導員さんって優しいですねと話したら、そうですね、最近はこんなもんかもしれませんと言われていました。時代でしょうか。

次に、これは取ったエリアの違いですが、千葉県の北総地域より、葛飾区は断然難しいです。交通量が多い、人通りも自転車も多い、そして道が細く交差点が多いため、かなり気を配ります。ストップアンドゴーが必然的に増えるため、MT車で走るとシフトチェンジが頻発します。クラッチさばきの良い練習にはなりますが、これは仮免許の人は大変かもですね…

最後に、これはペーパードライバー研修だからかもしれませんが、運転中は「普段通り走ってください」と言われて走っていました。むしろ、普段通りに走ると、悪いところを見つけてもらえるので良いかもしれません。

まとめ

ペーパードライバー講習を通じて、MT車の練習をしました、というお話でした。また、免許を取ってしばらく経つと悪い癖がつきがちのようで、普段の運転の復習を兼ねて受けるメリットもありました。

最近はスポーツカーでも2ペダル車が普通になってきまして、MT車でもクラッチペダルのある3ペダル車は絶滅の一途です(自販連のデータが取り寄せられてないので数値の言及は避けます)。最近ではAT車よりMT車の方が定価が高い車さえ出ました(例:トヨタ カローラ)。それでもMT車を運転したい、という気持ちは、やはり車を運転していて楽しい、それだけなのだろうなと思います。

皆様、ご安全に、そして楽しい運転を。

ピアノはじめました – 息子もがんばってます

今日は今まで書いたことがない話でも書きます。今年の早春ごろから、ピアノを始めました。
もともとは息子が昨年秋から始めたものだったのですが、いつの間にか自分も始めていたというものです。

「現状」「きっかけ」そして「息子への影響」の3点について書きます。

現状

5歳(保育園 年長)の息子と一緒に、週1回 45分/人(合計90分)のプライベートレッスンを受けています。明確に先生から分類を言われたわけではありませんが、以下のようにテキストを使い分けています。

クラシックが増えているのは、先生と雑談している時に「POPSでもYOSHIKIみたいにクラシックがちゃんとできる人はいいですねー」と言ったら出てきてしまったテキストであり、弾きたい曲は「ShakatakのInvitationsとかNight Birdsってかっこいいですよね」と話したら「昔弾いてたんでやりましょうかー」となり、いつの間にか増えていました(?)。

3月からレッスンを始めて、昨今の状況で春はオンラインレッスンを挟みつつ、二人で続けているという状況です。どのくらいのレベルになったかは、いろいろ書くより、実際に弾いている動画をアップしておきます。実はYouTubeへアップするのはこれが人生初めてです。

アルペジオの音がでかいというか硬いというか表情がないのもありますし、鍵盤を叩く手がコンピュータのキーボードを叩くその時とほぼ同じで、いろいろ改善点が多いです。実際、レッスン中にも指摘されます。少しずつ良くしていく気持ちはあります。

進捗としては、「バーナム ピアノテクニック 導入書」は先日終了、「おとなのためのピアノ教本 1」は6月までに終了、という状況です。バーナムは1週間あたり3つクリア、楽曲は1週間2曲クリアを目標として取り組んでいます。

自宅での練習はこんな流れです。

  1. レッスン日に課題曲を先生にデモを弾いてもらいiPhoneに録音する
  2. スコアを読む
  3. 先生のデモを聞く
  4. 弾いてみる
  5. 「スコアを読む」〜「弾いてみる」をループする
  6. 録画してセルフチェックしさらにループする
  7. レッスン日に評価をしてもらう

スポーツでもなんでもそうなんですが、録画して確認すると、自分なりにセルフチェックしやすいのでおすすめです。

どんなタイミングで弾いているかというと、最近は在宅勤務なんで、平日はお昼休みに生音を出しながら練習しつつ、終業後の夜はサイレントモードにして取り組んでいます。休日は、息子と一緒に or 邪魔されつつも(!)練習しています。特に、平日に弾くのは気分転換に大変良いです。それに、弾いている時はプログラミングをしている時と同じように集中しているような気がします。

なお、練習して間違っていると、息子や相方から「あ、そこ間違ってる!!!」と指摘され、割と凹みます。褒められることはありませんwww 特に、息子はいつの間にかスコアを見ていたり、耳コピして覚えてしまうため、間違うとすぐ気になるみたいです。

きっかけ

息子のレッスンの引率に行った際、先生の家にあったグランドピアノ(YAMAHA C3)が、当時家で使っていた電子ピアノ(YAMAHA CLP-645)と違って、アコースティックピアノは倍音が出ていいなぁ…なんてふと思ったことが口に出たのがきっかけでした。そして、いろいろ話しているうちに、お父さんもいかがですか?となり、お試しをしたところいい感触だったのではじめた、という流れです。

それだけではなくて、前々から一緒にライブを聴きにいく人ですとか、実際に演奏している人に、こえむさんもなんか楽器やってみるといいですよ?と言われていたのも少なからず影響はありました。ただ、小さい頃から始めていないと厳しいんじゃないかなーという先入観があり、実行には至っていませんでした。

また、実家に父が使っていたアップライトピアノがあったのですが、僕は全く触る機会はありませんでした。今考えれば惜しいことをしたかもしれません。

相方も、仕事とは違った脳味噌を使うしいいんでないの?ということで、ポジティブには思ってくれているみたいです。

ちなみに、お試しレッスン後に弾いた時の様子を、息子がiPadで撮っていたのでそれもアップしておきました。2月中旬のものなのですが、ほんと第一歩感あります。

その後は、自分がハマるにつれて、いつのまにか山野楽器 銀座本店の担当者のMさんを先生から紹介されて、気がついたらアコースティックのアップライトピアノ、それもサイレント機能付き(YAMAHA YUS3SH2)が家にある、という状況です。なお、電子ピアノは先生の新しい生徒さんのもとに旅立っていきました。

息子への影響

以前、小中学生向けプログラミング教室を手伝っていた時のように、一緒に取り組む、それだけなのですがそれがどうやら好影響を与えている、というのが先生と相方の評価のようです。

プログラミングは職業として取り組んでいるため、あわよくば「教える」なんて行為ができるのですが、ピアノは教えることはできません。しかし、横でお父さんがやっているのを見て、どうやら、僕も負けないぞ!という気持ちが高まるらしく、それが継続の原動力になっているようです。プログラミング教室の手伝いの時に、共に学ぶという感覚を掴んでおいてよかったなと振り返っています。

親になると、どうしても「〇〇(例:勉強)しなさい!」と言いがちなのですが、皆さん振り返ってください、まあしないものです。それでする子は動機付けが素晴らしい親御さんです。そこで、一緒に取り組み、一緒に学ぶというのは、それほど難しくなくかつ自分にも効能がある取組方法なのだなと思います。学校の勉強だといつか限界が来そうな気がしますが、広く教養のことになると、レベルに関わらず取り組むことができそうな気がします。

息子があまりやる気がないと、息子の現時点での課題を僕が弾いてしまいます。そうすると、息子が僕が鍵盤の前から押し退けて弾き始めます。邪魔すんな!と思いつつも、やる気があるのは良いこととも思うようにしています。そうそう、子供用のスコアは手が小さいことが考慮されているせいか、度数がそこまで大きくないので、割と取り組みやすいです。

あと、うまい人はどうかと、YouTubeのピティナの公式YouTubeチャネルを一緒に見たりしています。ここは、手元をちゃんと映してくれるので、いろいろ参考にしやすいです。最近はなんでも動画があがっているので、練習も捗ります。

なお、最近は息子の課題に「連弾」があり、僕が連弾の先生パートを弾けないと普通の合格止まりで花丸合格にたどり着けない、というハードルができました。なので、息子に「ちゃんとやってよー」と言われるようになりました。連弾は息が合わないと難しいですね…。

まとめ

最近、ピアノをはじめました、ということで、「現状」「きっかけ」そして「息子への影響」について書いてみました。在宅勤務での良い気分転換になること、そして息子の動機付けにもよさそう、ということがわかってきました。

いつかはライブとかに出てみたいですね。そのときまで、家でじっくり練習しておくつもりです。

プログラミングを始めたきっかけ – 1997年にさかのぼって

今年は2020年。まもなく30代を終えようとしている歳になった今、改めてなぜプログラミングを始めたのか。そのことを振り返ってみようと思います。

6つの節「コンピュータを購入するきっかけ」「購入してから開発を始めるまで」「インターネットに接続できるようになってから」「PDCAを自然と知り始める」「就職に至るまで」そして「今、昔の自分に何を伝えるか」にわたって書いていきます。

まあ、思い出話なので、軽い気持ちで読んでください。そして、現代は状況がまるで違いますから、この状況をそのまま適用できるわけではなく、今の生き方に参考にはならないことを、あらかじめお断りしておきます。

TL;DR

ソフトウェアエンジニアリングは、僕が社会につながって価値を提供することができる、素晴らしい技術であることを10代の頃に知ることができました。

でも、学校の勉強はちゃんとしておくべきで、ストレートで大学院を修了して、人生の選択肢をたくさん持てる状況を作ることが大切だと今は思っています。

コンピュータを購入するきっかけ

1997年、23年前、僕が高校1年生の頃にまでさかのぼります。父に、高校入学祝いにコンピュータを買って欲しいとお願いしたのが直接のきっかけです。

そもそもコンピュータを購入したい理由は、中学校の技術家庭科でN88-BASIC(86)でプログラミングの授業を受けた時、教科書にあったコードを写経して発表する際、友達からRND命令(乱数)を教えてもらって、コードを改造して図形の花火を飛ばしてみんなを驚かせることができ、「プログラミングって人を驚かせられるのか、こりゃすごいな!」という原体験がありました。

また、当時アマチュア無線をしている際に出入りしていたアマチュア無線機店が店舗オリジナルの自作PC/AT互換機のキットを販売しており、コンピュータって組み立てできるのか、面白そうだなということを知ったのもありました。ちなみに技術家庭科のプログラミングの宿題は、アマチュア無線機屋に置いてあったコンピュータでやっていました。

こうして、当時としては結構高めのPC/AT互換機、CPUがPentium 200MHz(単位はGHzではありません)、RAMが64MB(こちらもGBではありません)と共に、プログラミングを始めるためにMicrosoft Visual Basic 4.0を添えて買ってもらったのでした。

購入してから開発を始めるまで

当時、コンピュータを買ってもすぐにはインターネットに接続はしていませんでした。今のように常時接続の固定回線は一般家庭には普及しておらず(OCNエコノミーが最も安くて38,000円/月(3,800円ではありません), 128Kbps(Mbpsではありません)のベストエフォート)、一般家庭からはアナログの電話回線にモデムを繋ぐか、ISDNのTAかルーターを使って、従量課金またはテレホーダイという11pm〜8amまでの時間限定固定料金で接続するのが主流でした。

では、どうやってプログラミングの勉強をするかというと、公式ドキュメントか本しかありません。しかし、当時高校1年生の僕には公式ドキュメントをどこから読めば良いかさっぱりわからず、本屋に行って限りあるお小遣いから入門書を買うのでした。

先生や質問できる人は誰もいなかったため、一通り写経して、あまりよくわからない時に、Windowsのヘルプ形式で割と検索しずらかった公式ドキュメントを開いて、それを往復するというのをやっていました。

そのうち、だんだん慣れてきた頃に、なんか作ろうかと考え始めた際、アマチュア無線機屋さんで「フォントの管理って大変だよな」「フォントをいっぱい入れるとWindowsのリソースを食ってよくない(当時フォントを入れすぎるともともと不安定なWindows 95がさらに不安定になった)」そして「フォントはディスク容量を食うから選別して入れたい」という話を耳にしました。

それなら、試しに管理ツールを作ってみようと考えて作り始めたのが、Font Managerというフォント管理ツールでした。このWindowsアプリケーションは僕のソフトウェアエンジニアとしての原点となるソフトで、この後も言及していきます。

インターネットに接続できるようになってから

親にどうしてもネットに繋がせて欲しいとずっとお願いして、学校の成績が良ければ敷こうという約束を取り付けました。その約束を達成すべく、その時だけ勉強をし(!)、見事にクリア。33.6Kbps(やはりMbpsではありません)アナログモデムからでしたが、インターネットに接続する環境を得ることに成功しました。

直ちにWebサイトを作成(記録では1997/10/27)し、続いてFont Managerもフリーソフトウェアとして公開を始めました。これを機に、様々なオンラインソフトウェア収録サイトや雑誌から収録依頼があり、少しずつですが拡散していく手応えを感じることができるようになっていました。
検索してみましたら、インプレスの窓の杜にある新着ソフトウェア一覧にピックアップされている記録が残っていました(1998年「8月28日掲載のオンラインソフト」にあります)。
また、ソフトバンクの月刊紙「PCJapan」をはじめとした雑誌に定期掲載をしていただけるようになり、コンピュータ雑誌が自由に読めてよきかなよきかなと思っていたりしたのでした。

Webサイトを公開するようになると、当時多くの人が手を出したのが「掲示板」のCGIアプリケーションでした。Webアプリケーションの走りですね。
CGIレスキューさんをはじめとしたコードを公開しているサイトからコードを取り寄せ、プロバイダのマネージドのWebサーバにFTPで(もう使わないですね…)Putし、パーミッションを書き換えて、実行…しようとしたら動かない、というご経験をされた人はおそらく30代以上です。
printデバッグを駆使してコードを書き換え、なんとかHTTP 200が返って来るようになってうれしかった覚えがあります。

開発情報を取り寄せる方法は、もっぱらニュースグループでした。ニュースグループとは、ニュースサーバ間をリレーしてメッセージをやり取りできる、分散型の掲示板みたいなものです。当時高校生だった僕からすると、結構怖い人がいっぱいいて容易に質問できる状況にはなく、半年ROMる大切さはここで覚えた気がします。

PDCAを自然と知り始める

そうこうしているうちに、PerlでCGIアプリケーションを少しずつ書けるようになり、WindowsアプリケーションはVisual C++も使うようにして低レベルAPIも叩きながら開発することができるようになってきました。その際、メモリのヒープ一覧やブレークポイントを使えるVisual Studioって素晴らしい、ということでした。今だとWebアプリケーション開発でも使えるようになって、良い時代になったなと思います。

英語を覚えたのは、Visual C++で開発する際に、MSDNのAPIドキュメントが当時英語で書かれていたため、それを読破するためでした。高校の英語の勉強はさっぱりしなかったのに、英語の開発ドキュメントは読むのかと親から呆れられた覚えがあります。とはいえ、今になって英語のドキュメントに抵抗がないのはこれのおかげだと思っています。

また、インターネット上にソフトウェアを公開すると、利用者からメールで、質問やバグレポートが届くことがよくありました。ここで、世の中にはカスタマーサポートってのがある、ということを知りました。しばらくすると徐々に同じ質問が来るようになるので、FAQのページを作って問い合わせ量をコントロールするようになりました。

そして、利用者の声を反映してソフトウェアを改善していくプロセスも、ここで自然と取り組み始めるようになります。この時はPDCAサイクルという言葉は知らず、知ったのは20代にスタートアップに転職した時ですが、自然と取り組み始めていたようでした。

ただ、後で知ったことですが、東京の進学校に通っている人には、学校にコンピュータ部があり、部活内で教えあったりする文化があったとのことです。僕は当時、福岡市内にある普通の私立高校に通っていて、プログラミングに関する人の交流は全くありませんでした。こういう機会があれば、もっとプログラミングのスキルを伸ばせたのかもしれません。

就職に至るまで

ソフトウェアエンジニアとしていい感じにやられていたんじゃない?そう思われるかもしれません。いやいや。プログラミングをやりすぎて、学校の成績は絶望的な状況にまで落ちていまして、赤点すれすれの低空飛行を続けていたのでした。数学の解析と、物理の電気関係以外。

当然、大学受験には失敗します。一度浪人して再チャレンジしようとしましたが、これも失敗。父親に泣いて詫びて、就職します、と話したのが2000年です。割とその時は絶望していました。

その後、運良く大手総合電機メーカーの子会社に契約社員としてソフトウェアエンジニアの道に本格的に踏み入れることになります。この話以降は、以前に書いた「私のキャリアキーノート 2017年版」に続いていきます。

今、昔の自分に何を伝えるか

ちゃんと勉強して、ストレートに大学院に進んで、選択肢を持って就職して欲しいと伝えます。しかし、こういうのって多くの人は親から言われてきた言葉で、また多くの人はちゃんと勉強していたはずです。僕は高校生時代にプログラミングにハマってしまい、勉強の理由を見つけることができなかったのがよくなかったと思っています。こういうの、ちゃんと理解が進むように誰かに壁打ち相手になってもらい、話し合って理解しておく必要があったのかもしれません。

僕の場合、運良くソフトウェアエンジニアの仕事を見つけることができて、今も運良く仕事をすることができています。

僕の知る限り、現代において、ソフトウェアエンジニアになるには、大学院で計算機科学やソフトウェア工学を十分に学んでおく必要があり、僕のようなぽっと出の人がソフトウェアエンジニアとして活躍できるような時代ではないという実感があります。
それとも、尖った技術を使ったソフトウェアをOSSとしてGitHubなどでコードを公開し、社会に価値と提供しつつ存在感を出すことで、自らの道を切り拓いていくこともあり得るかもしれません。
または、ソフトウェアエンジニアリングとは違う部分で地に足のついた知識と経験がある人が、ソフトウェアエンジニアリングを学んで新たな価値を生み出すかの、いずれかだと思います。例えば、経理や法律に詳しい人が、ソフトウェアエンジニアリングを学ぶケースが当てはまります。

なので、この方法を真似することは一切お勧めしないし、参考にもしないで欲しいと思っています。この記事は僕が書きたくて書いた昔話で、僕のことに興味がある人が読んでくだされば良さそう、というものです。

あえて書く学びがあったとすれば、コンピュータソフトウェアの技術は、僕が価値を提供しつつ社会につながれる、素晴らしい技術であることを10代の頃に知ることができたことでしょうか。

4年あまりの思い出

この4年あまりの仕事を振り返ります。記憶が薄れないうちに、だらだらと起きたことを書いています。

3月の上旬、在宅勤務令が出ている中、所用でマネジャーの許可をとって久しぶりに会社に出勤した時に撮りました。平日の8pm前なのに、コロナウイルス騒ぎの影響で人が少ないです。

TL;DR

メルカリ(以下、現職、会社)を退職します。大変お世話になりました。ありがとうございました。この4年3ヶ月の間、何事にも代えがたい、貴重な経験ができました。

2015年 年末

あるカフェで、現職に勤めている人から、一度話を聞いてみませんかと勧められ、カジュアル面談に足を運びました。現職は、当時バックエンドにPHPを使っていたのですが、僕はPHPをほとんど書いたことがありませんでした。それをsotarokさんに伝えると、「他の言語は書けますよね?ならPHPも覚えられますよ。」と言われて、そういうものかと納得。この判断が、この後大変なことになるともつゆ知らず。

カジュアル面談後、あれよあれよと面接を勧められ、あれよあれよと面接のステージを進み、いつの間にか進太郎さんとの最終面接へ。気づいた時には内定が出ていました。

2016年 上半期

2016年1月にバックエンドエンジニアとして現職に入社しました。社員番号は百数十番目でした。初めての六本木ヒルズでの勤務、きれいなところだなー、とおのぼりさん気分でオフィスの扉を開けました。当時は六本木には数十人しかおらず、フロアの何割かしか使っていない状況でした。

PHPの開発を始めたのですが、いかんせんボロボロ。日本のPHP界を支えたエース級のソフトウェアエンジニア、そしてITインフラを支える腕利きのSREの人たちに囲まれ、僕が書いた現職の品質に耐えないコードに、プルリクエストのコメントが入りっぱなしでした。あの熱意に感動しつつも、その物量に圧倒され参っていたのもまた事実でした。試用期間の3ヶ月の間、帰宅すると相方から「葬式から帰ってきたみたい」と心配されるくらいです。

それからは、必死に毎日出社すると、昨日更新されたすべてのプルリクエストを読んで、PHPのコードの書き方と、業務をとにかく覚える日々でした。なんとか戦力になることに必死でした。夏ごろになると、ようやくなんとか一人でやっていけるほどになりました。なんとか見放さずに居させてもらえていて、これからは価値を提供せねばとという思いが強まってきました。

当初より、US版の開発に配属されたのですが、当時はコードベースが日本版とかなりの部分が共通でした。そんな中、出品のグロースを担当する部署で、アジリティここにありというスピード感満点の開発とリリースが繰り返されました。

2016年 下半期

ようやく現職に慣れて来た頃。US版の出品のグロースの担当は変わらずに取り組んでいた矢先、隣のチームで後に「招待爆発」と呼ばれるイベントが発生しました(詳細は「一晩でインストール数10倍、米AppStore3位に メルカリ「招待爆発」の裏側 | ログミー Biz」をどうぞ)。社内は大いに盛り上がっていました。

それから、所属するチームでKYCを始めとした本人確認の仕組みの開発が始まります。はじめはサービスのグロースと違う開発だったので戸惑いがあったのですが、過去にSIerに勤めていた経験もあり、業務知識最高やな!と気持ちを切り替えて乗り切ることができました。そして、これは後々活きてくることになります。

同時に、秋に初めて仕事で海外出張をすることができました。サンフランシスコのオフィスです。海外出張、ただそれだけで感慨深いものでした。

2017年 上半期

現職のサービスが、日本で誰もが知る状況なったのが、この頃でした。自分が担当するサービスが、mixiのように山手線内でみんなが当たり前のように使ってもらえたらいいなと願って約10年。本当にそういう時代が来たんだなと感慨深い日々でした。

僕は春から3ヶ月ほど、サンフランシスコに長期出張となりました(その頃の話は「サンフランシスコ出張を終えるにあたって」をどうぞ)。出張1週間前に指示されたできごとでしたが、会社のおかげで、本当に良い思いをさせてもらえました。こんなことは、なかなかできるものではありません。感謝にたえません。

2017年 下半期

日本に戻って、担当も日本版となりました。引き続きサービスのグロースのための開発に取り組んでいました。担当分野は変わるものの、昨年一緒に仕事をした同僚ともまた一緒になったため、割とやりやすい環境にありました。その中で、決済や出金といった割とコアな部分の担当もこなすことが増えてきました。これも、来年以降活きてくることになります。

また、急成長するサービスの前に、SREのメンバーとともにリアルISUCONに取り組みました。モニタリングツールで確認できる負荷の数値が減ると、グッとガッツポーズが出ます。また、この規模ですと結構な台数にインパクトが出るので、インフラコストに対してもポジティブに働きやすいのも、やりがいを感じやすい要因の一つになりました(詳細は「たのしいリアルISUCON – Mercari Engineering Blog」をどうぞ)。

会社もみるみる急成長。人の採用もどんどん進んで、フロアはますます広くなり、当初は空席ばかりで「本当にこんなに人を雇うの?」と感じていたのが杞憂だったどころか、「これ、今度どこに座ってもらうのだろう?」という状況になるのにはあまり時間はかかりませんでした。

2018年 上半期

1月より、この月から本格的に立ち上がる電子決済サービスの子会社であるメルペイに出向することになりました。昨年末に公募があり、応募したところ通りました。

この頃も、引き続き会社にたくさんの人が入社し続けました。特に、日本人ではない、外国籍の人がかなり増えてきたのが印象的で、社内公用語も自然と英語にシフトしていくのでした。サンフランシスコにいてなんとか英語を話していたものの、日本にいるとどうしても日本語を使ってしまうので、積極的に英語で話すよう努力するところから始めるのでした。

メルペイの立ち上げにあたって、まずはアーキテクチャを考えるところでかなり大変だったのを覚えています。その頃の話は「mercari tech conf 2018 で決済のマイクロサービス化についてお話してきました」にまとめていますので、どうぞ。同時に、Microservices化が進むようになり、会社内で使用するプログラミング言語もPHPからGoに急速に変わっていきました。状況の変化に追いつくので必死で、人の顔もわからなくなりつつあって、大変になってきたのを覚えています。

そして忘れてはいけないのは、6月19日の株式上場でした。このときの正直な気持ちをいうと、会社って上場できるんだ!ということでした。今まで勤めていた会社の中で「会社を上場させる」という話を聞いたことがあっても、実現できたのは今回が初めてでして、感慨もひとしおでした。上場日、会社の広場でワールドカップのグループステージを観戦しながら、日本のゴールのときに小泉さんとハイタッチしつつ、みんなで喜んでいたのをよく覚えています。

2018年 下半期

10月にPayPayがサービスインし、本格的な電子決済サービスの時代が幕を開けました。僕らも急ピッチで準備を進めている最中でした。

同時に取り組んだこととして、中学生・高校生向けのプログラミングコンテストである、情報オリンピックの世界大会の協賛に関わる取り組みを行なっていました(その模様は「第30回 国際情報オリンピックに協賛しました #ioi2018 – Mercari Engineering Blog」へ)。協賛を通じて、これからソフトウェアエンジニアになるかもしれない世界中の若人を応援できればという想いからでした。これ以降、次年度の日本国内大会の支援も継続しています。

現職は、人もますます増えていき、担当が細分化されていきました。僕は2017年の経験をベースに、出金部分に集中することになります。この時期は、まさに産みの苦しみに直面する時期でした。

そんな中、僕は初冬に体調を崩してしまい、年内は週休3日にする許可をもらってなんとか開発を続けました。今振り返ると、ほかのチームと、よくリリーススケジュールの足並みをそろえて開発しきれたなと思っています。スタートアップを何社も経験してきていますが、サービス立ち上げの追い込みのときほど苦しいものはありません。なぜこの苦しみをいつも味わってしまうのか、本当に反省が全くありません。

2019年

2月13日、とうとうメルペイがリリースできました。ただ、その後も運用がこなれるまでは様々な対応をする必要があり、まだまだがんばる必要がありました。とはいえ、リリースを迎え、社内は熱気に包まれていました。リリース後も、時々、組織が立ち上がってからリリースまでに撮影した写真やビデオを見返すのですが、その度に初心に返ることができます。会社のGoogle Driveに写真とビデオを、そのまとめはWikiに保存してありますので、社員の方はよければどうぞ。

その後、徐々に落ち着いていくと、運用を固めていく段階に入っていきます。SREばかりではなく、ソフトウェアエンジニアが運用・監視に責任を持つ、Microservicesならではの体制が浸透していきます(詳細は「How do we share troubleshooting skills – Mercari Engineering Blog」をどうぞ)。このエコシステムを運用できるようになっていく状況は、前職でインフラエンジニアをやっていた僕にとって、大変興味深いものでした。

同時に、セキュリティの知見を自分で深めるために、同僚と共にHardening Projectの予選・本戦に出場しました。レポートは「セキュリティの「衛り」の全国大会 Hardening II SU に出場してきたよ – Mercari Engineering Blog」にまとめてあります。また、Software Designへの寄稿の話ももらいました(「Software Design 短期連載「Webサービスを裏で支える!! バッチ処理設計の勘所」を終えて」をどうぞ)。

とはいえ、僕の主たる業務は決済・出金基盤の運用に注力するあまり、これといって「数字」に影響を与えられる開発に関与できていませんでした。むしろ、そうですね、もっと別の貢献の仕方があったのかもしれないと、今になって考えます。Alertチャネル(障害が起きた時の第一報を伝える全社向けSlackチャネル)を通じて一部の人に名を知られる状況になってしまったのも、何かあるとインパクトのある出金業務でお客様への影響は最小限だったとはいえ、大変不名誉なことでした。

また、ソフトウェアエンジニアリングを高等教育機関でしっかり学んできた若手が力をつけているところも、同時に見てきました。このことは、僕が自分のキャリアに対して危機感を持たせるには十二分な状況でした。

そして年末、退職することを決断しました。

2020年

3月末までに、今の業務をチームメンバーに引き継ぐ、このことだけにすべての力を注ぐことになりました。会社のバリューをしっかり実践する同僚のみんなに協力をもらい、出金に関わる複雑な業務、ステークホルダー、そしてソフトウェアの構造を引き継いでいきました。

その中で、リリース後は企画・開発・運用をほぼ一人でやってきた弊害として、資料化・可視化・再現性のある取り組みが足らないことを実感し、なんとしてでもそこを補強して組織で取り組むことができるようにすることが、僕の最後の使命でした。

この時期、みなさまの記憶にも新しいことですが、コロナウイルス騒動の影が徐々に濃くなりました。2月下旬、とうとう現職でも在宅勤務令が発令され、一人一人が自宅で業務を続行することになりました(「在宅勤務を半月以上取り組んで…会社で仕事するのがやっぱりいい」をどうぞ)。それは、僕が退職する3月末まで続いています。間に作った出社日に、何名かの方にごあいさつをすることができ、送別会もボスの取り計らいでオンラインで開催してもらうことができました。一時は誰にも挨拶できないのではと心配しましたが、なんとかなったことにはホッとしています。

今後について

4月1日より、新しい会社で働くことになります。2011年に飛び級して大学院に入学した時を思い出します。僕が新しいことに取り組むときは、いつも大変な波乱の中での始まりであると。

現職の社内で、キャリア形成に対して「韮」という考え方があります(韮については「メルペイからメルカリグループ全体のコーポレート統括へ。横田淳の決意 | mercan (メルカン)」をどうぞ)。僕はこの韮という言葉に大変感銘を受けて、これからはソフトウェアエンジニアとしてのこれまでのキャリアを韮の1本目として、もう1本をこれから作っていくよう取り組んで行こうとしています。どうなるかわかりませんが、新しい挑戦を通じてまた新たな価値を生み出して、世の中に貢献していく所存です。

おわりに

エキサイティングな職場で、エキサイトせずに冷静に物事を進めるプロフェッショナルの集団、それが現職でした。

ただ、僕は特に歴史に名を刻むどころか、バリュー賞をはじめとした目立った賞を取ることもなく、ただただその時々に必要な仕事に取り組んだ一社員に過ぎませんでした。

とはいえ、その歴史の渦中に身を置けたことは、何事にも代えがたい貴重な経験でした。そのことには、本当に感謝にたえません。そして、僕も他のお客様と同様、メルカリが生活の一部となりました。もう一度同じ経験ができるとは、正直思い難いほどです。

とても長くなりました。

4年3ヶ月いた現職を去ることにはなりますが、引き続き「インターネット株式会社」には所属しています。本来ならば、現職の皆様には直接ごあいさつをしたいところなのですが、このコロナウイルスに伴う在宅勤務が続く状況でそれも叶わず、残念です。またどこかでお会いすることがありましたら、どうぞよろしくお願いします。

そして、関わっていただいたすべての皆様に、深く、深く感謝をいたします。どうもありがとうございました。