僕が2001年から働き始めて20数年になりました。この間、いろいろなことがありましたが、僕は運が良かったなと最近感じています。過日、Xにそのことを5つの項目にして軽くまとめたのですが、今日改めてまとまった文章にして書き残そうと思います。

5つの項目

まずは、結果として自分が運が良いなと思えるようになった判断、5つの項目を書き並べます。続いて、それぞれ述べていきます。

  • IT 業界で働くことを選んだこと
  • IT 業界の労働環境はこの20年で改善したこと
  • Web 業界は前例にとらわれずに取り組みやすかったこと
  • 僕の周辺に優秀な若い人がどしどしきてくれてそれが刺激になること
  • 発達障害者の自分でも IT の力を使うと弱みを補完してくれる

主語を「IT 業界」と「Web 業界」に分けている意図としては、IT業界は SIer も含めたことであること、Web 業界はいわゆる事業会社として自社でインターネットを通じたサービスを提供している企業に絞っています。とはいえちょっと主語大きめですね。あくまで観測範囲は僕自身に限っているところを考慮いただけましたら幸いです。

IT 業界で働くことを選んだこと

僕は高卒で2001年で就職することになりました。その当時、就職氷河期真っ只中で、働き口を見つけること自体が非常に難しいことでした。


引用元: 内閣府 日本経済2019-2020 第2章 人口減少時代における働き方を巡る課題(第2節)

そんな中、僕はたまたまできたプログラミングをもとに、 IT 業界に就職することができました。この選択が、その後の人生で仕事に困ることがない、少なくとも今のいままで困ることがなかった状況を作ることができました。その時実際どうだったかは、「キャリアキーノート」に書いたので、良かったらご覧ください。

私のキャリアキーノート 2017年版

IT 業界の労働環境はこの20年で改善したこと

一方、僕が就職したての頃の IT 業界は、長時間労働をはじめとした労働環境の悪さがありました。終電で帰ることはザラ、ひどいとしばらく会社に泊まっていた日々もありました。今でいうスタートアップに勤めていた頃は、マッサージチェアで寝て、朝9時ごろになると社長に起こされていたってことも珍しくありません。しかし、このままではいけないという力が業界のどこかで働いたのか、年々長時間労働は改善されつつあります。少なくとも僕は現在だとそこまで残業はせず休日もカレンダー通り取ることができています。


引用元: 情報産業労働組合連合会 ITエンジニアの労働実態調査 2019報告書 概要 pp.6

IT の仕事は長く働くことだけが価値の提供にはならないのは、この業界にしばらく勤めている方なら誰しもが理解されているはずです。確かに、フロー状態でコードを書き続ける瞬間もありますが、そればかりではありません。例えば、抽象的な思考を具象化していく際に、様々な知的な活動があります。そのためには、頭がよく働くよう自己管理を徹底する必要があります。そのためには、仕事から離れて休むことが肝要であります。これは、単に横になる狭義の休みから、違うことに取り組むことによってリフレッシュする広義の休みも含まれます。

また、年収については、これは個々の事情によるところもあると思いますが、少なくとも僕は共働きで家庭を持っても問題にならない程度の収入を得ることができています。日本全体の成長について不安視する世論がある中で、自分がいる場所はいつも成長を続け前向きに仕事が来る状況が続いていることが一つの要因かもしれません。ただ、年功序列ではないため、どうやって収入を増やすかについては一定の作戦を自分自身で持っておく必要があると考えていますが、話が脱線しそうなのでまた別の機会に書きます。

いずれにしても、20年前のことを考えたら、労働環境は確実に改善に向かっていると言えるのではないでしょうか。

Web 業界は前例にとらわれずに取り組みやすかったこと

僕は2社目からほぼずっと Web 系の業界に居続けています。僕がいた場所は、社長こそ自分より一回りまたはそれ以上の年代の人でしたが、直属の上司や同僚はほぼ全員就職氷河期の同じ世代で、世代が違うと言うほど歳が離れた人はいませんでした。当初は情報も今ほどはありません。そのため、誰かから教わり経験を継承することができず、ほぼ全てを試行錯誤しなければなりませんでした。結果として車輪の再発明だったこともあるかもしれません。ただ、それは前例にとらわれない様々な挑戦を遠慮なくできた環境であったともいえます。また、当時はみんな20代だったので若さでそれを乗り切ることができました。業界自体が若かったんですね。

現在の Web 業界は、 Web 上ばかりでなく人脈の面でも会社を越えた交流が活発で、情報がずいぶん増えました。それに、僕も含めて1回以上株式上場などを経験して、何周か回っている人がすでにいます。20年前に比べたら成熟したところがあるでしょう。それでも、新しい挑戦を絶やさず続けている人がいて、それに続く人がいるのは、チャレンジの苦しさと楽しさ、そしてその先にある人生に対する充実感を知っているからこそかもしれません。

さらに、最近では Web 業界が立ち上がる前からある規制や仕組みに対して Web 業界から挑戦する人たちがいます。そういう人たちは、既存の人たちの伝統に理解を示しつつも、革新をもたらすために行動されています。その挑戦をしている人に、僕は敬意を表したいです。あ、僕もちょっとは貢献できているかな?

僕の周辺に優秀な若い人がどしどしきてくれてそれが刺激になること

昨年から管理職になったこと、また疫病も明け様々な機会で自分よりひとまわり若い人と積極的に関わる機会が増えました。そこで感じるのが、とても優秀な人が集まってきていることです。仕事のアウトプットは期待通りまたはそれ以上であることはもちろん、勤務態度は良好、そして人に対する接し方も丁寧です。かつて、強い IT エンジニア像の中に「ちょっと接しにくいけれど」という前置きがあった人もいましたが、それはいまは昔という感覚を持っています。もし、そういう接し方を今も続けている人がいたら、このような若い人に人的面でいつか抜かれると危機感を持った方がいいです。組織では人に好かれた方が間違いなくうまく立ち回れます。

世間様の様子を見ていると「今の若い人は難しい」という話を聞くのですが、ここからは僕は全く感じることはありません。ひょっとしたらですが、僕の周辺にはありがたいことに優秀な人が積極的にきてくれているのかなと想像しています。今後も、そういう選択をしてもらえる環境づくりをチームあげてやっていきたいですね。

また、こういった環境に身を置くと、自分自身にも刺激になります。僕も30代までは正直接しやすい人間だったかというとそうではなかったと思っていまして、結婚して相方に色々「指導」を受けながら直していったのが正直なところです。技術面は本気で向き合ったら彼ら・彼女らの方が上手のことも当然出てくるばかりでなく、自分の立場としては任せていくことがより大切になってきます。その時に、メンバーの支えになれるようになるにはどうすればいいのか、考えながら価値を発揮していく必要があります。よく、僕が自分の仕事は3つ「方向性を示すこと」「承認すること」そして「揉め事を仲裁しにいくこと」だと言っています。逆にいえば、これは僕だからできることともいえます。がんばっていきます。

発達障害者の自分でも IT の力を使うと弱みを補完してくれる

2019年に発達障害(ADHD)であるとわかる前からではありますが、自分には記憶力がなく、かつ並行して仕事をするのが苦手だなと強く感じてはいました。そんな中、 IT の力を使うと、記憶を記録として変換できるばかりか必要に応じて通知をしてくれ、たくさんやってくる仕事の優先度と期限をもとに仕事の直列化の整理を手伝ってくれます。仕事の内容を誰かが覚えていてくれていて、直列化すると僕はこなせます。さらに、いまは生成 AI が様々な支援をしてくれます。文章、特に論理的な文章を書くテクニックがあれば、生成 AI とはとても仲良くなれます。また、フロー状態を作り上げると、今でもこん詰めて仕事ができる点も便利な特性です。

たぶん、 IT の世界で働いていなかったら、ここまで成果はあげられなかったはずです。それどころか、簡単なことでミスをし、それどころか単純な(むしろ単純だからこそ)作業を覚えらない、要領の悪い人のレッテルを貼られる気がします。仕事と時代に助けられたと心の底から感じています。

この経緯は次の記事に別途まとめています。

発達障害がわかったとして どうするか #ADHD #ASD

まとめ

自分がこれまで20年余り働いてきて、運が良かったなと思う事柄を5つにまとめて紹介しました。 IT 業界、それも Web 業界に身を置いていたことから、前例にとらわれずに新しい挑戦が常にできたことが大きかったのではと振り返っています。また、就職氷河期真っ只中で働き始めましたが、運良く生き残ることができました。

ひょっとしたら、同年代の人から見たら「ただの生存者バイアス」と言われるかもしれません。自分の不幸を何かということはできるかもしれないけれど、それでも生きていかなければなりません。実は僕自身も就職氷河期で酷い目に遭っていると思い込んでいた時期があったのですが、落ち着いてこうやって整理すると、実は自分には就職氷河期だからと言って自分の身に特別酷い目を受けていた起きた事実というのは思い当たらなかったのです。または、何らかしらの人智を超えたよいことが起きて、避けることができていたのかもしれません。

とはいっても、この後の人生もいろいろ大変なことが起こるはずです。その時はその時で、うまく向き合っていくつもりです。

付録: もとの X の投稿