今年のツールドフランスは、日本人2名(別府選手新城選手)の初完走、そして最終日の第21ステージで別府選手が敢闘賞を勝ち取るという、全日本のサイクルロードレースファンがしびれる内容で幕を閉じました。

ところでtsudaるとは

tsudaる。twitterユーザではおなじみとなった、twitterを通じた実況投稿の通称を指します。これは、ジャーナリストの津田大介氏がシンポジウムの取材を通して発言を実況中継している状況から、その名が付いたようです。

このtsudaる、意外に難しいようです。津田氏はジャーナリストと言うこともあり、書きなれている事や、登壇している人からは距離が離れいることから、状況を淡々と伝えられていらっしゃいます。しかし、その場の「役者」である人や、ほかの人がやると、どうもうまくいかないみたいです。少なくても、うまく行っている状況を見た事がない。

その中に現れたスポーツ実況

スポーツの実況と言えば、古くはAMラジオ、現在ならテレビが定番です。テレビなら、観戦に出向かずとも、その状況を音と画で体感する事ができます。

そんな中、twitterでスポーツの実況をする人が出てきたのです。@tour_sanspoIINA 氏です。

シンポジウムのような「発言」をまとめて投稿する事さえ難しいこの状況下、言葉になっていない”見た状況”を伝えていくという、さらに難しい題材に挑戦したジャーナリストが現れたのです。

AMラジオの厳しさと一体感の再来

AMラジオというと、野球の実況中継と、パーソナリティが独自の世界を展開する番組が主な放送内容であり、今もその流れは変わりません。僕の親の世代は、夜な夜なラジオにかじりついて放送を聴いたとか聴かなかったとか。

twitterで実況をすることは、この二つが合わさった状況…いや、それ以上に難しい状況であると想像されます。

まず、スポーツの実況自体の難しさ。AMの野球中継では、ピッチャーの息遣いや、バッターの気合の乗り方など、見えないものをいかに見えるように伝えるか、アナウンサーの力量が問われます。そして、夜な夜なの番組では、リスナーとパーソナリティとの交流が、番組を盛り上げます。

その2つが、同時に行われるのです。

実況は、話すことよりも難しいのではと想像します。声のトーンも伝わらなければ、そもそもキーボードを打つのが早くないと伝える事さえできません。小説など、ある程度まとまった時間の中で言葉を操る人はこれまでもいましたが、ほんの数秒でそれをこなさなければならない状況を僕は知りません。そして、「交流」です。@? を使った名指しで話しかけられるという、リポートしている本人の今の状況なんて正直関係ない状態で、次々とメッセージが交わされます。そして、答えている。ラジオならディレクターさんがお便りを仕分けてくれるだろうけど、twitterはそれさえもジャーナリスト本人がやらないといけない。

一人で実況できる…けど、その一人に多大なポテンシャルが要求されるのです。

実は僕自身よくわかっていない

いろいろ書いてきましたが、僕自身、目の前で繰り広げられた事を飲み込めていません。これが何を意味していて、そしてこれから何が起きるのか。

ただ、一杯引っ掛けてツールをドンちゃん騒ぎして観戦していた中で、何か新しいことが動いているんだな、という事を感じました。そう、それは車の中でAMラジオをながら聞きするように、コンピュータの仕事をしながらtwitterの実況中継を見ることが普通になりつつある感覚です。

だが、変化はおそらくそういうものなのである。
変化は、つねに人々の目の見えないところで始まっている。
そして、その変化に人々が気づいたとき、すでに次の変化が音もなく足もとに忍び寄っている。
そっと、誰にも気づかれないうちに……

杉山隆男 「メディアの興亡」 下巻 第六部 離陸 P.402

僕らの目の前に、あらゆるものがやってきます。そして、意識的・無意識に関わらず、自分自身でも発信しています。その状況を、僕ら一人一人が感じ、理解を深めていくことが大切なのではないでしょうか。