働き出して10年が経つ これまでとこれから

働き出して10年が経つ これまでとこれから

この4月で、働き始めて10年になります。大学院へ行く事もあり、最近は会社の上司に仕事量の調整を始めてもらっています。そのため、働いているのにも関わらずかつて無いほど余裕のある状況…言うなれば『モラトリアム』に近い日々を過ごしています。

僕は、ちょっと余裕があるといろんな事を考えてしまう性格でして、幾度となくこうしてブログを始めとした表に出るメディアに想いを書く事で整理してきました。もうすぐ10年という事で、これまでを振り返って整理して行きたいと思います。

■どうして働き始めたのか

どうして高卒で働き始めたのか。それは、大学受験に失敗したからです。「東京の予備校でなら合格できる」と今考えたらひどい理屈で東京にわざわざ引っ越させてもらい、予備校に通いつつ慶應義塾大学のSFCを受験しましたが、箸にも棒にもかからず玉砕。最終結果が分かったときに、電話口で父に対して「働きます」と涙を流して詫びた事を昨日のように覚えています。

幸い、住んでいる場所が父が東京に残した家だったため生活費は継続して支援してもらえる事となりましたが、この時2001年は就職氷河期の最悪期。それでも乗り越えなければなりませんから、たくさんの応募書類を書いて面談に通いました。

■開発の流れを教わった大企業での経験

そんな中、運良く大手IT企業の開発子会社の契約社員になる機会を得ました。高校生の頃に書いていたオンラインソフトの経験があってなんとかチャンスを得た形ですが、最初の契約期間は3か月。結果が出なければ即刻クビです。ですから、もうしがみつくようにコンピュータの前でプログラムを書きまくりました。誰よりも速く、誰よりも品質が高く、そして誰よりも信頼されるように。ちょうど、クラサバアプリとWebアプリの切替期だったこともあり、両方書く力が求められ混沌ともしていました。

そんな中、大手IT企業は『開発標準』というのが徹底的に整備されており、その流れと目的をしっかり通すことになります。これは、開発とはどう行われるべきかの基礎を理解するすばらしい機会となりました。

最終的には約1年半在籍しました。正直な所、きっかけはその際お世話になった課長に拾ってもらったに近い境遇でありましたが、このキャリアは自分自身のレピュテーションを安定させるすばらしい経歴となりました。

■能力を一気に拡大させたベンチャー企業での経験

次に転職した、株式情報サイトを運営するベンチャー企業には4年いました。ここでの経験は、限界というラインを一気に底上げし、能力という幅を一気に押し広げ、そして企業が成長して行く様を肌で感じる、ハードながらも思い出深い体験でした。

転職したその頃の日記を見ますと、かなりへばっている事がよくわかります。会社の状況が非常に厳しい創業期に入社した事もあり、1ヶ月でサイトをリニューアルする仕事が一番最初の仕事でした。今ではWeb系の開発ではこの水準は珍しくありませんが、この時期はフレームワークを始めとした短期開発の基盤がそれほど出回っていない時期でして、どのようにすれば開発が速くなるのか?というのをほぼ同時期に入社した先輩2人を含めた3人でコードを書きながら試行錯誤したものでした。

また、この会社の社長はパーソナリティが非常に強い方であり、かつサービスの方向性を決定づける重要なポジションに立つ方でした。そのため、社長から適切に要件を吸い上げ、サービスに展開させなければなりません。また、開発期間も短いため、高効率なプロジェクトマネジメントが欠かせません。こうしているうちに、プログラミングばかりではなく、自然と上流工程に興味を持つようになりました。

そして、サービスはソフトを充実させればさせるほど、お客様窓口を手堅くすればするほど、そしてレピュテーションがあがればあがるほど、お客様が増えつつ利益が倍々で増えて行きました。これも、現在成功していると言われているベンチャー企業では当たり前ですが、ソフトウェアサービス事業は製造原価がほぼ固定されていますから、損益分岐点を越えるとその後はほぼ全て売り上げです。

今現在の自分の背景、それは技術やマネジメント、ひいてはお金の流れについての知識と経験は、この頃に確立できました。4年でしたが、何十年も勤めたような気がするほど、密度の濃い時間を過ごせたように思います。

ただ、人間とは慣れが出るもので、最後はちょっと伸び悩みました。その頃のブログにはこう書き残していました。

僕は同じ場所に4年以上いることって、人生ではじめてなんです。
いつもは2~3年ごとに別の土地・学校へ移り、そのたびに新しい人と出会い、生活の場を開拓してきました。
しかし、4年いたせいか「慣れ」が出て、それが今まで自分になかった種類の「甘え」が出始めていたのは事実です。もちろん人間ですから、誰しも甘えは持っていると思うのですが、「安住」し始めていたんです。
僕の今までたどったことって、いつも「新鮮」で「開拓」する流れだったのに、これまでとは全く違う、それも悪い方向に流れるなんて、これはいけない。ってね。

■多くのお客様を巡った3社目

3社目は、地域ポータルサイトやEコマースサービスを立ち上げるSI会社に勤める事になりました。

この会社は広島県の福山市にあり東京に本社が無いベンチャー企業でしたが、商品開発を通じてレピュテーションが上昇している時期で、自社サービス開発・展開を強化する任に着く事になりました。

お客様は北こそ東京どまりでしたが、南は鹿児島にまでありまして、1ヶ月に数回は出張に出かけました。地域を盛り立て、ビジネスを盛り立てるお手伝いができ、非常に楽しい仕事ができました。また、これほどインターネットサービスが普及していても、最新の情報、特に技術情報が東京に一極集中状態であり、東京以外の地域をまわる事で日本全体のITリテラシーを底上げできるのではないのかと思う事もありました。

しかし、これまでと違ったのは社内調整の難しさという洗礼に遭いました。正直、これを通じて自分が精神的に弱かったことを露呈する結果になった事は、苦い思い出です。前職は、社長の元で全社挙げて行動を起こしていたため、価値観が1点に収束していたためあまり気にせずに仕事ができていた事を、このときに知ったのでした。また、今後の仕事での重要な示唆に富んだものでもありました。

最終的には追われるように去った、1年半でした。

■コンピュータサイエンスの大切さを知った中継ぎ期間

今の会社に勤め始める前、3ヶ月ほど間が空いた期間がありました。

その際、特別な仕組みの元に運営されている機関の研究所に、プログラミングのアルバイトという形で少しだけ仕事をしていました。そこで、自然言語処理のことを学びながら、久々にプログラミングの没頭する毎日でした。同時に、プログラミングをする上でのコンピュータサイエンスの知識の無さを痛感しました。今、大学院に通う選択の原点はここにあります。

また、この頃からスキーや自転車を始めとした、今につながるアウトドアのアクティビティに再び始めることにもなります。仕事が限定されていた事、そして一緒に働いていた方もプライベートを充実させる事を大切にされていた事が影響したのでしょう。こういったバランスを取る事で、仕事に対しても広い視野で取り組めるようになった事は大きな出来事でした。

そして、大組織を通じて人のつながりの大切さを感じました。1年目の時には感じませんでしたが、多分見る視点が変わってきたのだろうと思います。

大企業、特に創業から数十年経過している大企業と言うのは『人を大切にする』土壌が整っていることが多いように感じます。
その反面、中小企業は年がら年中「人が足りない」と言って求人広告を出し続けます。この費用を、少しでも人を大切にする、たとえば人材教育にまわすことができたなら、人を増やさずも社内に「会社の価値を高める人」が増えていくのに。と思いました。

■多彩な価値観に置かれる現在

今の会社に勤めるようになって、もうすぐ3年になります。

入社時、人員のリストラの直後でした。すぐ転職とならなかったのは、これが原因だったのです。社内は大変混沌としており、時には「あなたは何をしにきたのだ」とさえ言われました。僕には、技術者としての任務もさることながら、その裏には会社の状況を変革してほしいという命題が経営層からありました。また、ここは元はゲーム会社ですが、僕が入社する頃から様々な出身者…SI・TV業界・通信会社・専門学校関係者など、多彩な価値観をもつ人が増え、ゴールへの焦点の当て方を考えるにも簡単でないのも、事を難しくしました。

まず、2ヶ月で公式携帯サイトの立ち上げと言う、久々ハイスピードなプログラミングからスタートです。続いて、会社の文化をよりよくしようと創造と変革のための活動を通じ、社内の風紀や規律を整えることもやりました。ITインフラも大変な状況でしたので、なんとか投資をし再整備に理解をしてもらおうと説明に走り回った事も、つい最近のことです。

今年度に入り、ようやく本領を発揮できるSIに関するマネジメントや技術要件・設計に携われるようになり、落ち着いて仕事に取り組めるようになりました。その甲斐あって、大学院を目指す準備もしっかり行う事ができました。僕自身ではまだまだとはいえ、組織的にビジネスを進めるスタイルも様になり、一段落です。

ただ、入社した頃から続く憎まれ役として耐えなければならない状況は続いています。そんな中、今年度から部署を支えてくれる2人の上司に助けを得ながら、なんとか自分の身を立てつつビジネスへ最大限貢献する事に集中するよう、能動的に意識する毎日です。精神的にはまだまだ独り立ちとは行っていませんが、次に自分がそう言った立場になった際の糧になるよう学び続ける事を忘れないようにしたいと思っています。

その傍ら、外部の勉強会の参加・発表もより積極的に取り組むようになりました。勉強会を通じ、仲間を社内ばかりではなく社外を通じて広く求め、あわよくばパートナーとして一緒にビジネスを進める形態を推進しています。これは徐々に成果が出てきており、これからの中小IT企業はこうしていくことで強みを補完すればまた面白いビジネスを展開できるのではと想像が膨らむ毎日です。そのためには、まずは発信が必要だということも身をもってわかりました。

■これまでとこれから

正直なことを言うと、プログラミングの知識をもっと専門化・先鋭化させたかったなと思っています。ちょうど僕の年代の人で、プログラミングに長け内外からの評価が高い人を見るようになりました。そうして行ければ身を立てやすく、かつ自身の元に集まる人も増やしやすいのではと思うと、うらやましいのです。自分の能力には、目に見えてレピュテーションや結果が出ていると実感できる事は無いものですから。

ただ、こうして10年の歩みを考えると、経緯的にも能力をプログラミングに先鋭化する方向にはなりませんでした。自分が意識的にやらなかったせいはありますし、至近で必要とされるものを自分なりに広く考えて行った結果、こうなっています。最高の結果ではないのですが、少しの成果と明日につながる道はできました。

4月から筑波大学で経営の勉強をしつつコンピュータサイエンスを学ぶにあたって、今は花咲いていないITに関する技術と経営の2側面からのマネジメント…最後は決断力を高めることに力を注ぎ、今注目されている彼らとはまた違った価値・成果を世間に提供していきたい、そう言う想いです。そして、何かの導きでそういう機会を頂けたと理解しています。

また、決断の環境をよりよくする取組みとして、仲間の大切さや精神的な強さを仕事を通じて培い続けられるよう、取組むばかりです。

そして、お世話になった全ての方々への御礼は、自分が出す結果にあると理解しています。

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