2012年5月15日をもって、現在の勤務先を退職することになりました。この1ヶ月半…半月長くなりましたが…は、引き継ぎをしながら断続的にお休みをいただいておりました。

退職の記事は、これまで他の方のものをいくつも読んできました。その時に感じるのが、書いた方がその組織を通じてどのような経験をしたのか、そしてどのような人生を送ったのか、とても短くまとめられているということです。それにあやかり、僕もまとめてみることにします。

■もはや自分の能力だけで仕事は不可能

僕は2008年4月にここに入ったのですが、その時に持っていた志があります。「Webとゲームの融合」でした。ここはナムコで3Dゲームを作り上げた凄腕プログラマの集まる会社でして、そこに僕が持っているサーバサイド系技術を持ち込んで、Webのソーシャルさとゲームのインタラクティブさが融合できれば、新しい価値が提供できるのではないか、そう思っていたのです。これは、今で言うとソーシャルゲームです。実際、最初の頃はこの志を高められる機会は少なからずありました。

しかし、その後にここでメインとなった開発は、サーバサイドではなく3DとAR技術を用いたスマートフォンのアプリケーション。全く未知、かつ僕の守備範囲ではない開発が主となりました。今まで自分が持つ技術力で突っ走ってきましたが、初めて技術者として立ち止まらなければならない経験をしました。これは誰かに「これは僕の仕事ではない」と言えば解決するのでしょうか。いえ、そうではありません。環境がスマートフォンのアプリケーション開発を求めたのです。ニーズに応えられなければ仕事は無くなり、変化に対応できなければ滅びるのみです。

そこで、僕がとった行動は、開発のマネジメントでした。同時に、専門のプログラマが出来る程ではないにしても、引き続き技術を学びます。プログラマの人であれば「あのマネージャは技術がわかってない」と思った事がある人がいるはずです。それになってはならないという前提を自分で置きつつ、チームがより良い開発に携われるように自分が力を注ぐ立場に身を置くのです。これはとても大変だったのですが、今後の技術の広がり、そして自分がそろそろ「若い」世代ではなくなる事を考えると、とても重要な経験をできたと考えています。

自分自身で技術を追求する事は非常に楽しいものです。でも、それは30代ともなりますと自分より若い20代の子も同じ事…ヘタをすると若い子の方がより早く・多く…できるのです。そこで、年齢を重ねた自分に何が出来るのかを考えた時、経験や人のつながりを基にした「資産」をベースに活躍の場を創り出さなければなりません。やりたい事を実現する手段を、変化させるのです。それも、自分と言う枠を越えて、仲間を巻き込んで。

■ここだから出来た楽しい経験

今までいろいろな会社で仕事をしてきましたが、ここでは他では多分なかなか出来ないであろう、面白い仕事に携わる事が出来ました。

まず、ソーシャルゲーム市場が本格始動する前に携われたソーシャルゲーム。まだ、ソーシャルゲームと言う言葉がなかった頃でしたが、SNSと連動するサービスがどういったものなのかを身を持って体感する事が出来ました。

続いて、GPUを用いたソフトウェア開発。かなりインフラ寄りで携われましたが、特殊な機材を使った時にどのようなインフラ設計を行い、それをお客様に説明し、そしてベンダーとつきあって行くのかを知る事が出来ました。この考え方は、今後はNAND型フラッシュメモリを用いたシステム構築等でも使えそうです。

ARアプリケーションは、buzzワードだと思っていた方も多いはずです。そんな中、ソフトウェアに「演出」を取り込む事はどういう事なのか、初めて考えるようになりました。ゲーム開発も演出ですが、よりテレビや演劇に近いライブ感を持って「魅せる」ソフトウェアがあったのです。ソフトウェア開発の見方が僕の中で大きく変わりました。

また、携わらせていただいたお客様も多種多様でした。大物音楽アーティスト、大きな研究所、そして出版社。インターネットが登場する前からある会社や市場ですが、そこにソフトウェアを通じて新しい価値をご提供するお手伝いが出来たのは、非常に楽しい経験となりました。お客様とプロトコルをあわせる事には苦労しましたが、最後は志がお互いに理解し合う事が出来れば何とかなります。

これほど幅広い業務内容、そして多種多様なお客様とお仕事ができる機会は、単にSIをやっているだけでは経験できなかったはずです。

■今後はより組織を創る仕事を

いろいろやれたのですが、何でも屋さんになるつもりはありません。何でも出来る事は、何も出来ないと思われても致し方ないからです。少なくとも、現場に立って自分から手を動かす立場からは少しずつ手を引いて行くつもりです。それよりも、今後は組織づくりにたずさわるほうにシフトしたいと考えています。

今まで、僕が会社を辞めてしまうと、運営こそ持続できますが、僕が提供した価値を改めて求めてくるお客様が幾人もいます。しかし、会社を辞めていますからお金をもらって再び同じ事が出来る訳ではありません。これって、組織の持続性を確立できていないからに他なりません。これではダメなのです。最終的に属人性が残ることは否定しませんが、それをどれだけ小さくし、組織としてより手厚く・持続的に価値提供できるようにするのか、仕組みを創る事が大切なのだと僕は信じるようになりました。

そのためには、自分が培った技術や経験を若い人に伝承し、組織としてどのように行動するのか仕組みを作り、そして自分自身から実践する。人の流れのサイクルが出来れば、自分が出来る事は当然として、自分に出来ない事も出来るようになる、強い組織になります。この10年はこれに力を注ぐつもりです。

■決して転職は気軽なものではない

今まではリスクをとって大きな価値を提供する事を中心にやってきました。しかし、これから自分がやろうとしている事は組織として持続する…高いリスクはとらない…企業である事が前提となります。どーんとではなく、売上が徐々にあがりつつ成長を実感しながら日々働く事が出来る、そんな環境にいたいと思っています。

大企業ですと、転属や転勤により環境を変える事が出来ます。僕の父は転勤族でして、数年に1回は住む土地が変わりました。こうすることで、仕事がマンネリ化しなくなることはいいことです。しかし、中小企業ですと、転属や転勤が出来る規模になる事は稀ですから、転職することになります。今の日本においては同じ企業にいたほうが世間体はよい事を考えると、少し後ろめたさはあります。言い換えれば、大企業にいた方が一般的には有利です。

とはいえ、自分が持った志「後進を育て組織として強い体制を創る」事を目指すと決めた以上、それを実現できる環境に移ることは今は重要です。世間体という転職のネガティブ面を上回る程、今の僕には転職をする事はポジティブな事なのです。もっというと、僕がこうしたいという希望があるのです。

■最後に

まず、僕がここに入るとき、当時社長で今は取締役の方に「斎藤は今必要な人だ」と言って周りの人々を説得していただいた上で、入れていただく事になりました。そのご恩は、今でも感謝しています。

また、一緒にソフトウェア開発に携わってくれた仲間…そのほとんどが今ここにいませんが…や、取引先の皆様、そしてお客様。類い稀なる機会を提供していただいた事、大変感謝しています。

この転職が正しかったのだと、後で思えるように今後もやっていきます。どうもありがとうございました。