今日は、今の会社に勤め始めて初めて、腹が立った。
自分にである。
これは多くの場合、自力で解決が難しそうな話が登場したときに起きる。
加えて、多くの場合は未経験の領域か未知の領域である。
そして、どこからその話が出るかというと、これまた多くの場合、社長である。
しかし、出てくるタイミングは、突然である。

いつも思う。
この想像力の差が、経営者とそれ以外を分けていると。
どんな技術も創造を形にする作業の足しにはなるが、想像力こそが均衡を破り価値を創造する唯一の手段だと。僕には前者はあっても、後者が足りない。
スタッフに、散々「イマジネーションだよ!」と言い放っている割には、当の本人、これまた散々である。

ミーティングのあと、以前のように腹の虫が騒ぐことをあらわにしなくはなったが、両隣のスタッフは僕が口をへの字にしていたから、おそらくなんか腹を立ててるんだと察されていたのかと思う。
前職で、世界的に有名な某コンピュータ会社の元社長さんとお話した際「どんな悪い状況でも、トップは普通の顔をしてみんなと接することが大切。」だなんて言われているのに、実践できていない。こういう雰囲気、周りに伝染する可能性が極めて高いので、厳に慎むべき行動である。
しかし、慎んでいないところが、半人前である所以である。簡単に言うと、子供のままだということである。

自宅に帰り、ぶりの照り焼きを作る。帰りにいつも寄るリブレ京成のタイムセールで、2枚で300円だった。スーパーは夜に行くものである。
僕が飯を作る理由は以前何度となく書いたけど、今日のような気分がぱっとしない日には気分転換をかねて取り組む、大切な時間でもある。
仕事を離れて違う作業をするから、仕事が頭から一時的に離れる。また、飯を作って、自分で食べると、お世辞抜きでうまい。おかんの飯には及ばないけどね。
皿を洗うのだけが、面倒。もちろん、洗わないと明日の飯が作れないので、仕方なく洗う。

そういえば、福岡に帰っているとき、とうとうおかんが結婚の話なんかをしてきた。
相手がいないのだからどうにもならん、と切り返す。
しかし、僕もそんな歳になったのだと、改めて思った。ついこの間まで、高校生だった気がするのだが。

最後に、こうして1日のことを「淡々」とBlogに綴る。
淡々、が重要である。
夜に考え事はろくなことがない。思いを馳せたりとか、手紙を書いたりしたりしても、たいてい悪いことしか思い浮かばない。悪いスパイラルが始まり、場合によっては酒か精神薬のお世話になる人もいるだろう。ほんの1年前の僕は一挙に2つお世話になっていたくらいだ。

考えるなら、朝に限る。朝日がエネルギーをくれる。