だんらん

だんらん

昨日、大阪出張の帰りにじいちゃんの家へ立ち寄りました。
近所だったもんですから。
晩飯を食べよう、ということになりいつものように食卓を囲って阪神戦を見ながら飯を食うことになりました。

普段、飯って仕事の関係や友人と食べることはあるのですが、身内と食べることがめっきり少なくなりました。
実家に帰ることも少ないですし、ましてや近い親戚の家に行くことは年に1回あればよいくらい。そんな中、母方の親&親戚はまさに「ざっくばらん」が似合う雰囲気の人ばかりなので、ぶっちゃげ「しゃべりにいく」だけで行くこともあります。今回はまさにそんな感じ。

テレビ見ながら「あー、阪神、今日幸先いいね!」なんていうと、じいちゃんとばあちゃんから「せやなー」反応があるんですね。いや、人がいるから反応があって当然なんですけど、普段一人で自宅で飯食って、テレビ見ててもテレビに向かって話してる自分からすれば、それはそれは久々の反応なんですよ。うれしいですね。
そんで、家の飯ってうまいですね。外食でいろいろおいしいものを食べるのはそれはいいんですけど、家の飯って帰ってきたくなる味なんですよ。わかります?年寄り向けなので味薄いんですけど、そういう問題と違うんです。今では飯は自分で作るか外食なので、自分以外の人が作った家の飯は、最も贅沢な飯になりました。ましてや、母方の親であるばあちゃんの飯ならね。

高付加価値、もっというとお金を取る「エンターテイメント」「食事」は増えましたけど、原始的な「だんらん」「家の飯」ってすぐに手に入りそうなのに実は結構遠いところにあるもんだな、と感じました。10代のころまで当たり前のように思ってたんですけど、この歳になってそう思います。
そんな環境も、たまには一人になりたいと思うこともあるもんですけど、結局人って誰かと一緒にいたいわけですから。最近読んだ向田邦子さんの「父の詫び状」って本でも、似たようなことが書いてあったし。みんなおんなじなんやな、と。

最後に、7回裏で阪神が7?2で勝っているところを確認し、たった3時間でしたが「ざっくばらん」な時間をすごせました。阪神勝ってるから余計楽しい、というかなんていうか(笑)。

じいちゃん・ばあちゃん、突然でしたけどどうもありがとう。また行きますね。

LINEで送る
Pocket