そう言えば、自分が参考にしてみたいロールモデルって、見つけられていないな。と、思った今日この頃についてです。

■「人生のあがり」感

最近、人生の「あがり」を感じています。すごろくのゴールの事です。

20代の頃は、お金とか、学歴とか、そして自分個人の事に課題を感じ、そして解決できるよう走り抜けてきました。そうして行くうちに一つ一つが解決して行く事ができ、そして春に大学院を修了したことで、これらに全てけじめを付ける事ができました。

だから、「自分はやりきった、よくがんばった。おわり!」という気持ちになっています。

同時に、以前はあった貪欲な気持ち…「よし、がんばろう!誰よりも!!」は、もうありません。

■ロールモデルの存在がない

ロールモデルとは、特に仕事における将来の姿を描くために参考とする人・モデルのことを言うそうです。

しかし、「ああなって行くのかな、自分は。」というイメージは、ありません。

通常、会社勤めをしていると、先輩がいる方が多いと思います。大きな企業にいれば、その数は膨大(※1)です。その中から、自分は「将来こうなるのかもしれないな」という人を見つける機会はあるのではないでしょうか。しかし、僕がこれまで勤めてきたIT・Web系の会社には、自分より年上の人がほとんどいません。世間には「尖った技術者」として名を馳せている人がいますが、僕は尖った技術者になりたいとは考えていません。

あえて、存在するわかりやすい事例から取り上げるなら、PMや対外折衝が主のSEです。しかし、それを率先して活動している人は僕の周りには今はいません。いないという事は、そんな人は今は必要とされていない事の証なのかもしれません。また、自分がやっていたこともありますが、その役割が組織から強く求められていた存在でもなかったようです。最低限、技術者がいれば開発は遂行できますから。

「では、自分が切り拓けばよいではないか?」という批判も受けました。もちろん、そうやろうと取り組んだ事もあります。しかし、道のない所に道を作るには非常に大きな体力・精神力・努力が必要です。そのために3時間睡眠で休み無く戦う力が無い事を知った今、自分にはそれは無理だなと諦めています。やってみたら、最後は体が持たなかったのです。

■「誰かの志に乗っかる」これまで

それでは、今までどうしてがんばれたのか。改めて振り返って考えていくと、自分の課題を解決することはもちろんですが、何よりその時に入った組織の社長が掲げた「志」(※2)に乗っかるように動けたからと思います。正確には、やっている時はわからなかったのですが、最近読んだインタビュー記事「起業家インタビュー Vol.2 株式会社はてな 代表取締役社長 近藤淳也さん」を読んでいてこれまでを再認識しました。

自分の力を考えると、自分一人で道を切り拓くなんて到底できっこありません。だから、強い「志」を持つ誰かをフォローすることをきっかけに、志の一部を実現する中で自分自身を鍛え、結果として広く世間に価値を提供できていたのでしょう。ただ、志の強い社長はアクが強い人が多いので(すいません…そう思っています(汗))、体力・精神力・努力は結構必要であった事は間違いありません。とはいえ、一人でやるよりはずっと現実的でした。

ただし、先のインタビューにもありますが、志に乗っかる事ができるのは、その志に自分が参加できる余地がある場合に限定されます。

■おわりに

僕は、根本的な部分では自律して行動はしていません。きっかけを外部に求めながら生きる、他律の人間です。ただ、きっかけが生まれると、きっかけの範囲内で自律して動いてきたように思います。

自律して動ける人は確かにいます。そんな人から、僕のやり方が問題であると指摘される事も少なくありません。ただ、そんなに多くの人が自律して動いているのでしょうか?みんながみんな、自律の原動力である…その体の奥底から沸いてくる志を持っている訳ではないと、僕は考えます。それで生きていて、立派に社会に価値を提供している人たちが確かにいるのです。

僕は、単に人の神輿を担いでいるのが、何か面白いのです。確かに、これまで課題は設定して行動していたと話しましたが、それもやっぱり他律的なきっかけであったのです。今は、それを完遂してしまったので、呆然としているのです。

そうなってしまった今、どうして行こうか。何か、参考にできるロールモデルに則って、これからを考えて行く事はできないものか。漠然とした思考が渦巻く、毎日を過ごしています。

■参考文献

※1: 膨大すぎて前に進めない問題がある会社もあるそうですが、それはここでは言及しません。

※2: 「志」としたのは、「リーダーシップ」というと様々な学説がありわかりづらくなるので、あえて感情に訴える言葉を選びました。