「自分の限界は自分で作っている」

よく、成功した経営者と言われる方が語られる言葉です。なるほど、人間は自分に甘えがちですから、このくらい強い動機付けが必要かもしれません。僕も、20代前半の頃にベンチャー企業で勤め始めて以来、この言葉をずっと信じてやってきました。また、20代前半の頃に勤務していた会社の中に、ノーベル賞を受賞した江崎玲於奈先生(※1)の色紙が掲げられてあり、そこに書かれた「限界への挑戦」というメッセージを毎日見て、限界を超える事を常に意識していました。

その中で、自分の今の負荷を感じる、車で例えるなら「タコメーター」を壊してしまいました。いや、20代の頃に意識的に壊すよう努めました。結果、僕は限界を超えてでしか、限界を知る方法がなくなりました。

■だれているんじゃないか

僕は、この30数年の人生の中で、最も精神的に充実しています。まず、社会人大学院への通学が終わり、高卒から修士卒となった事で、学歴に対する後ろめたさが無くなりました。仕事も、今までに無い恵まれた環境で取り組む事ができています。そして、プライベートも、非常に楽しく過ごせています。

この勢いで、また以前のように「ガッツリと」仕事に臨もうと、考えた矢先…

「良性発作性頭位眩暈症」、いわゆるめまいがきてしまいました。耳鳴りや、特に左耳の聴力低下まで出ています。

先月に入って、朝、起きられなくなる日が出ました。ふらふらして立てないのです。3〜4年前に1回、同じ物を経験しているのですが、今回は更に重く、長引いています。今は薬を飲んでましになりつつありますが、日によってぶれがあり、症状が解消した訳ではありません。

はっきり言って、だれてますよね。仕事と社会人大学院との両立が終わり、安心したんじゃないかと。気合いが足らないのではないかと。でも、心の奥底では、どこかで故障しないと、自分の限度を超えている事がわからなくなったのだと気づき始めています。

■ITエンジニアを続けられるのか

僕は、物事に取り組む最中、必ず自分に魔法をかけます。「これは必ずできる」「できたあとはより多くの価値を社会に還元できる」そして「そのために今を全力で生きろ」と念じます。念じた後は、やるべき事に強い集中力で臨みます。ある後輩が、その様子を「鬼気迫る物がありました」と言っていたのが印象的でした。また、「斎藤はいつ寝ているの?」という言葉は僕にとっての褒め言葉だと感じていました。

一方、30代に入り、20代の頃程は集中力が上がらなくなり、かつ学習する時の効率もあがらなくなりました。日々新しい技術が生まれますから、覚えられなければ業務について行けなくなります。経験で解決できる所もあるでしょうが、今の業務はそのまま過去の経験を活かせる状況にはありません。

「プログラマ 35歳寿命説」という話があります。信じる、信じない、それぞれ議論があります。僕は、半分信じています。なぜなら、35歳を過ぎてまでソフトウェア開発の最前線にいる事は、若手ではできない高度な技術・経験、そして情報の発信ができれば可能だと考えたからです(※2)。

僕は今、20代の時以上に、寝る間を惜しんでコードを書いて(※3)、売上を立てて、そしてより大きな仕事に携わって行きたいと願いながら生きています。でも、このごろは勝手に体が故障してしまうようになりました。まるで、古いイタリア製の自動車のように、負荷を与え続けるとすぐどこかの調子が悪くなります。「ちゃんと動かんかい」と自分の体を蹴飛ばして喝を入れて動かしたいくらいです。

喝を入れなければ、僕はITエンジニアとして生きることはできなくなるかもしれません。同じ価値を提供するなら、僕よりも若い人でも充分可能だからです。もっと言うと、日本以外にもたくさんいます。実際、優秀な若手・外国の人たちと一緒に仕事をする度に「自分はこのままやって行けるのだろうか」と強い不安を感じます。技術力では、もう抜かれまくっています。

そんな中、「体が悲鳴を上げているのだよ」と話してくださる人がいます。自分で逃げ道を作ってはならないと考えるこれまでの自分の意識と、やっぱりそうかと考える今の自分の考えがぶつかり、この言葉をあまりうまく理解する事ができません。

やらなければ退場を促され、やればあるタイミングで体に故障が発生する。どうすればいいんだ、と思います。

■限界を常に突破する力をつけて良い人は限られているのかもしれない

僕の周りには、50歳になっても毎日3時間睡眠でも全く平気な人がごろごろいます。さらに、元々頭も切れ、ビジネスでもしっかりと売上を立てられたり、技術を通じて社会に価値を提供できる方々です。更に、努力もしている。色紙を書かれた江崎先生も例外ではありません。その傍ら、僕は普通にやっていれば箸にも棒にもかからない訳なのだから、彼らの何倍も努力するのは当然の義務であると考えています。それは今も変わりません。

でも、残念ながら僕には3時間睡眠で日々を生きられ、めちゃくちゃ頭の回転がよい人間ではなさそうです。そんな人間が、限界に挑戦し続けると、やがてば車で言うとエンジンブロー、即ち人間として死んでしまう事と同然の状況になりかねないのではと、怖くなりました。

毎日3時間睡眠でも戦える人は、自分で限界を作らず、限界へ挑戦し続ける力を養う事は有用だと思います。誰もなし得なかった、とんでもない価値を社会に提供できるかもしれないからです。ただ、普通の人は、限界を知るためにたまに大変な山を乗り切るくらいに留めて、限界に挑戦し続ける事はやっては行けないのかもしれません。そうしないと、自分の負荷を知るタコメーターが壊れ、限界手前で負荷を抑えながら、体調をコントロールする事ができなくなります。

僕はこれまで、並の体力・精神力なのに限界に挑戦し続けた結果、エンジンブロー…心や体を完全に壊してしまい生きる力を失った同僚を見てきました。また、そろそろ自分だけの体と考えるには、慎重にならなくてはならない時期に来たのではないかと感じています。

限界を突破する力は、万人に薦めてはならないのかもしれません。

■では限界への挑戦をやめられるのか

僕は3つ選択肢があると考えています。

  1. 限界への挑戦を続ける
  2. 限界への挑戦をやめてのんびりやる
  3. 未知の分野を掘り下げて自分のペースを作る

1だと、どこまで人間として生き続けて行けるでしょうか。2だと、かつての自分がやった「あなたにはもっといい仕事がありますよ」って言われて、行き場を失うだけでしょう。そうすると、3が現実的です。自分が先駆者なのだから、自分がトップです。ただ、そんなウマの良い話はあまりありません。簡単にできたら、みんなやっている訳ですからね。もしかしたら、第4の道があるかもしれません。それは、僕にはまだわかりません。少なくとも、ITエンジニアを長く続けるのはもう難しいのかなと感じています。

これからを生きる人には、タコメーターを壊す程に物事に取り組んではほしくない、ということです。時々忙しい程度の、普段は定時で帰り、家族や友人と過ごす時間をじっくり持った、ゆとりと日々の幸せを感じ続けられる生活をしてもらえたらと、願います。最前線は、最前線の事ができる人に任せましょう。

正直なことを言うと、時々、思わず「僕はもう無理だ、殺してくれ、頼む。」と夜に願う事があります。僕は今、とても幸せです。でも、この先を考えると辛くてたまらんのです。


■追伸 2013-04-18

この記事を書いた後、知人から様々なコメントを頂戴しました。

会社を長期間運営できている経営者は、「価値観」を持っていると言います。価値観とは「絶対な自信」の裏付けであり、これを獲得するには一旦限界を突破することがきっかけになるようです。限界を突破した後、一旦ペースを落とし(彼は「沈み込む」と表現していました)、機が熟した…即ち価値観を形成できた所で飛躍・突破することが大切なのだそうです。

その上で、僕に対して「自分の今の置かれた状況とは、どういう意味で、どういうことが期待されていて、本来、なにができないといけないのか。」を分析し、まずは価値観を培う事が大切なのではと提案してもらいました。また、より大きな飛躍のためには、しっかりと沈み込むことが大切であるとも述べています。ただ、このプロセスは誰にも評価されず、一つも面白くない作業になるだろうと言われています。

価値観が確立すれば、「心の奥にある空虚さを静かに見つめること」ができるようになり、相手のもつ価値観を評価でき、かつ表層的な権威等には動じなくなるだろうとのことでした。

実際、私の身近で、並々ならぬ力を入れている人(先に挙げた僕の定義上の「成功した経営者」とは違います)も、この限界の突破を経験し、今に至っているとの事でした。

僕は、我慢の時期に入ったのかもしれません。

※1 社外取締役として入っていただいていたのでした。

※2 さらに「好き」が重なると強力です。もう、太刀打ちできません。

※3 ITインフラを支えるには今はコードが必要です。