サンフランシスコに出張してきまして、アメリカの広さと価値観の幅広さにただただ驚き、日々を過ごしています。
さて、そんな中で日本から海外に進出するにあたって、過去海外進出を成し遂げた人たちが、まさに進出しているときに何を見て、何を感じ、そして何を考えてきたのか知りたいなと思うようになりました。
そこで、本田宗一郎さんのエッセイ集「ざっくばらん」を手に入れて読んでみた感想を残しておきます。まとめかたが誰かに似たような感じかもしれませんが、まねてます。
はじめに
「ざっくばらん」が出版されたのが1960年(昭和35年)。ちょうどその頃、ホンダの公式サイトの年表によりますと、1959年に米国ロサンゼルスに進出、1962年に四輪自動車を発表した、まさに成長真っ只中の頃でした。
ご存知のとおり、ホンダは欧米で大変普及しており、米国でも高速道路を眺めていれば必ずホンダ・アキュラのロゴを掲げた自動車を見かけます。さて、その結果を分析してあれこれ議論することは可能ですが、それをまねただけでは同じ結果にたどり着くことは難しいと、僕は感じています。
そこで、先ほども書きましたが、本田宗一郎さんが、結果が出る前に「何を見て、何を感じ、そして何を考えてきた」のかを知りたいと思い、この本を手に取りました。
手に取りました…と書きましたが、今は米国にいるので紙の本を取り寄せるには時間がかかりそうです。しかし、そこが現代!電子書籍という海を越えていても待たずして本を手に入れる最高の環境があるではありませんか。ということでKindle版で読んでおります。
僕が読んでいたポイント
引用しつつ、そのときのメモを書き残しておきます。ブログの節は本の章そのまま該当します。
技術とは
日本にはいくらも技術者はいるがなかなか解決できない。気づかないからだ。もし気づけば、ではこれを半分の時間でやるにはどうすればいいかということになる。そういう課題が出たときに、技術屋が要る。
まずは問題に気づくことが肝要。いきなり手持ちの技術を使って結果として難しく解決しようとしたり、焦点違いの結論を導き出すことがなんと無駄なことか。自分が技術者をやっていて、一番はまってしまう問題だ。
汗と創意
日本のオートメーションのあり方に、僕は疑問をもっている。具体的にいうと、オートメーションの前の段階にコンベアというのが使われるようになった。これは人間の手ではどうしても疲れるし、能率が悪いというので時間を動力化した。ところが現在の日本では、何でもかんでもコンベア化して得意になっているのが多い。人間で手渡ししたほうが早いものもあるのに、そんなことは御構い無しだ。
今やっていることは本当に自動化?省力化と勘違いしてない?っていうインフラエンジニアをやっているときにもっと真剣に考えなければならなかったことだった。技術で解決させたと見せかけて、実際に能率が上がっているのか、評価しなければならない。
ちなみに、この節では最後に時間の大切さを訴えています。本田宗一郎さんは、お金も大切していたけれど、何より時間を大切にしていたのではと本から読み取りました。
個と全体
僕はこの節が一番好き。
デザインというものは、人の心を捉えるものだから、道楽した人でないと人の心に触れることが難しいということになる。
僕の周りに「この人はすごい」と感じるデザイナーさんがいるけど、そういう人は決まって遊び上手だった。UXの説明はこの一文で十分じゃないかと思う。
たくさんの引き出しと、たくさんの人との関わりが基礎にあって、そしてそれを活かすために技術が必要なんだろうな。
日は新た
大人というやつは、うんと進歩的にものを考えても、以前はこうだったという観念が根強く残っている。
時々、自分は老害になっていないかと心配になることはある。ソフトウェアエンジニアリングの進歩は早い。若い人がどんどんやっているところを見習うくらいでちょうど良いのかもしれない。
国民性論
民族の考え方は必ず製品に出てくる。おそろしいほど思想を反映する。
みなさん知ってますか。米国発のオンライン決済できるアプリには、たいていRefund(返金)機能があります。米国は返品して当たり前の文化でして、問題が起こった時はもちろん、ちょっと気に入らないくらいでもRefundします。日本でアプリを作っていると、まず考えないことです。
そういうことを発見することがどれだけ大切で、もっと観察していくことが必要だと知った一文でした。本田宗一郎さんも、米国の車をそうやって観察していたんですね。今も昔も、工業製品もソフトウェアも、何も変わらないのでしょう。
レースは目的ではなく単なる進歩のための手段だから、ざっくばらんでやりたいものだ。
ISUCONやると、ぐっと腕が上がる人っていますよね。僕もいろいろ見つめ直せます。レースに出よう!
自動車がアクセサリーだ
本田宗一郎さんは既に1960年のときに、自動車は実用を満たしてファッション・アクセサリーになると予想していました。事実、日本がバブルの時はそういう雰囲気があったように思います。翻って現在はどうでしょう。日本の市中で見るのはミニバンばかりでして…退化?楽しむことを日本人は忘れつつあるのでしょうか。
人の欲望により良い形で寄り添うのが進化なのかもしれません。
美と個性
デザインの話がまた出てきております。
デザインが人間を相手にしたデザインである以上、狭い世界であくせくしていたんでは、人の心をギュッとつかむような訴求力が出てきっこない。
旅行をするこということは、難しく言えば、自分と長年なれ合ってきた環境を一度突き放すこと、そして異なった環境の中に自分を置いてみることで、もう一度自分をとりまくものとのフレッシュな関係を生み出すことではないだろうか。(中略)土地、人情、風俗の違ったところで、本当の旅の味を味わえる人は、みんなデザイナーになれる要素をもっているということである。
人を相手にする以上、人を知るために旅に出る。
今のこのサンフランシスコ出張も、僕にとっては旅です。アメリカには、東京とは全く違った土地、人、風俗があり、その観察を日々楽しんでいます。そんな日々に少し慣れて…慣れ切らない状況で東京に帰った時、自分は東京をどう観察するのでしょうか。
ネオ能率論
一番最後の人間のカンではわからない段階になって、初めてストップ・ウォッチを使う
目で見てわかること、根本的におかしいところに目を向けずに、いきなり測定して最適化しようってのはよくないという話。そして、勘に頼らず計測する大切さも述べられています。あてずっぽで計測して結局何だったっけ、ってことになる自分に対しての戒めの言葉です。
世の中は何といっても若いものが中心になって動かしているのだから、彼らの共鳴を得られないような世迷い言で動かそうったって無理がある。
共鳴か。
真理に徹す
人は信用したほうが得である
疑いだしたらきりがないし、その疑うコストって本当に酷い。
欧州断想
引用はありません。
この章では、フランス・ドイツを巡った時の話が書かれています。電気を使ったオートメーション化が進むのが必然な当時、各国のメーカーがどのような思想でそれらを導入するかを観察しに行っています。
ルノーの話では、大変よく「仕事が電気がする」状況になっていたものの、稼働効率がよくない。ではなぜ人を使わないかというと、当時は賃金が高いという問題があり、機械を入れたほうが結果として安くなっているからというものでした。
一方、フォルクスワーゲンは当時はそこまで機械化が進んでおらず、当時の日本のような資本が少なく人間が多い国には、こちらのほうがまねしやすいというものでした。一方で、賃金が上がってきた時は、機械化は推進しなければならないとも語っています。
「どうしてこうなっているのか」という観察の結果が様々な角度で端的にまとめられた、自分が見方を教わったような章でした。
保護と自立
スピードの前には、どんなサービスも問題にならないということである。
ここは、当時サービスがそれほどでもなかったPAM AMが米国〜日本便にジェット機を導入した結果、これまでサービスに定評があったがプロペラ機のままで速度が出ないJALが負けた、という文脈で語られています。
早いというのは、とてもわかりやすく、何事にも代えがたいサービスですね。
最後に
最初の章「技術とは」に、こんなことが書かれています。
僕は、本を読むのが嫌いだ。極端ないい方をすると本というものは過去のものしか書いていない。僕は、本を読むと、それにとらわれてしまって、何だか退歩するような気がして仕方ない。
最初の章にこれが書いてあっておいおいなんだよ、いきなりこの調子かとパコーンと殴られたような気分でした。
ただ、読み終わって思います。亡くなった今でも、本田宗一郎さん自身の話を聞ける、よい機会だったと。それに、この本は進行形のことが書かれていて、結果があまり書かれていない。とらわれるものがないどころか、頼るものすらない。
よく観察してこい、それが結論なのかもしれません。