3ヶ月弱、長かった。まもなくサンフランシスコ(SF)出張を終えて東京に帰ります。
いろいろあったのですが、仕事とは関係はないけど、印象深かったことを忘れないうちにまとめておきます。3編「安定した天気が心を穏やかにしてくれる」「保守層の生活を懸けた批判と向き合う」と「国が変わっても、その文化に囚われない、自分自身の価値判断基準と意見を持ち続けること。」になります。
(Cable Car – 立ち乗りがおすすめですがすれすれを車が走るので気をつけて!)
安定した天気が心を穏やかにしてくれる
SFにいる間は家族がいないので、帰ると誰とも話さず一人でずっといることが多いです。文化や言葉が違うことから、負担に感じることもありました。
でも、それをいつも癒やしてくれる存在がありました。SFをはじめとしたベイエリアの良い気候です。
(The Presidio – Main Parade Groundの凧揚げイベント)
ベイエリアは地中海性気候でして、夏は涼しく冬は暖かく、霧の日を除いて湿度もあまりあがりません。そして、特に夏は晴天率が高く、雨の日はめったにありません(遭遇したのは2日?くらい)。老いも若きも、金持ちもそうでない人も、平等にこの晴天があります。この空のもとにいると、つらいことは自然と消化されていき、またしっかりやっていこう!という気持になります。
そして、現地の同僚は、この天気のように清々しいGuyばかりで、プライベートでもいろいろ声をかけてくれたりと本当に心の支えでした。
それにしても、うちの父をはじめとして、単身赴任をして生きてきたお父さんたちってのは本当に凄いなと感じました。どうやってモチベーションを保ったんでしょうか。今なら週末に東京の家族とFaceTimeで顔を見ながら話すことはできますが、あの当時はそうではなかったはずですものね。
保守層の生活を懸けた批判と向き合う
- 「中国系をはじめとした移民が雇用を奪っている!」
- 「Tech企業が富を独占している!」
僕が、現地の保守層に属するある人から面と向かって言われた言葉です。そして、言われたのは一人ではありません。
米国では、日本に比べてプライベートの場においてカジュアルに政治の話をしてくる人がいます。正直これは怖かったです。なぜなら、日本にいて政治の話をまともにしたことがないからです。そして、僕はアジア圏の人間であり、そしてTech企業のソフトウェアエンジニア、批判の的になっているわけです。この話の前に僕はどんな仕事をしているか話していなかったのですが、もし振られたらどうしようと本気で悩みました。
(Clarion Alleyのストリートアート)
そしてもっと問題なのは、この保守層の人は生活を懸けて政治の話をしているのです。実際、SF市内ではもともと低所得者層が住んでいた地域にTech企業の人達が住むようになり、家賃をはじめ生活費が高騰して彼らは住む場所を追われています。また、すでにいる米国の人達の雇用を移民が奪っているという側面は、特に単純労働だと深刻なのかもしれません。
もし、彼らに対して意見を言うとするなら、どう伝えますか?僕は、正直なところ、そのときは答えが出ませんでしたし、今もそうです。ただ、Tech企業の光だけが日本に伝わっている中で、このような影があることを知っておくのも社会の知識として持つのは良いことだと僕は思っています。
参考資料
- サンフランシスコ:ミッション地区を埋め尽くす壁画 | 石川彩子のシリコンバレー生活
- How Burrowing Owls Lead To Vomiting Anarchists (Or SF’s Housing Crisis Explained) | TechCrunch – 注:大作です
「国が変わっても、その文化に囚われない、自分自身の価値判断基準と意見を持ち続けること。」
日本にいますと、例えば「これからはイクメンの時代だ!」と盛り上がっております。しかし、SFにおりますと、イクメンは当たり前で、誇るようなことではありません。分担が普通です。僕は日本である程度育児に参加していた方だとか考えていたりしましたが、SFに来ますとそんなことを考えること自体がバカバカしくなりました。
(BerkeleyのIndian Rock ParkからSF市内を望む)
と言う話を相方とDMをしていたときに相方から言われたのが、場所が変われば思想も変わる、だからこそ、国や環境が変わっても自分考えを大切にしていきましょう、という話でした。そもそも僕が育児に参加しているのは、一緒になるときに家庭のことは分担する、と自分で決めたことだったからです。それ以上でも、それ以下でもない。
先程のことは僕の身近な例でしたが、思想・常識・流行などは場所が変われば変わる、言われれば当たり前なのですが、肌で実感しそれを乗り越えた上でなお自分の中に残るものとは何か。それを考え、導き出すには本当にうってつけの機会でした。
そして、SFという場所で多様な人に囲まれるながら生活していると、自分とは何で、そして自分がより良く生きるにはどうすればいいか、自然と考えるのに至るのでありました。
最後に
アメリカの地図を見ますと、SFは西の端っこでして、東にはたくさんの大地と都市がまだまだあります。この広さを見るや、「アメリカ」を語れる人は本当にいるのだろうかと思います。このSFという1都市だけでも大変深いエリアだと言うのに。
「全米が泣いた」という言葉がありますが、これは多種多様な人種や価値観を越えて感動させることができていることであり、その言葉の深さを認識したのでした。全日本人が泣くのとは意味が違います。たぶんアメリカに来なかったらそれは認識できなかったことでしょう。
そして、このような機会に恵まれたことは、僕は本当によかったと思っています。
(夕暮れ時のFerry Building)
滞在期間はあと少し、7/1まで。物事を片付けて無事に家に帰れるようにしっかりやることにします。
家事を相方に任せっきりにしてしまったのですが、それでもなおこうして快く送り出してくれた相方には、感謝しきりです。どうもありがとう!