4年あまりの思い出

この4年あまりの仕事を振り返ります。記憶が薄れないうちに、だらだらと起きたことを書いています。

3月の上旬、在宅勤務令が出ている中、所用でマネジャーの許可をとって久しぶりに会社に出勤した時に撮りました。平日の8pm前なのに、コロナウイルス騒ぎの影響で人が少ないです。

TL;DR

メルカリ(以下、現職、会社)を退職します。大変お世話になりました。ありがとうございました。この4年3ヶ月の間、何事にも代えがたい、貴重な経験ができました。

2015年 年末

あるカフェで、現職に勤めている人から、一度話を聞いてみませんかと勧められ、カジュアル面談に足を運びました。現職は、当時バックエンドにPHPを使っていたのですが、僕はPHPをほとんど書いたことがありませんでした。それをsotarokさんに伝えると、「他の言語は書けますよね?ならPHPも覚えられますよ。」と言われて、そういうものかと納得。この判断が、この後大変なことになるともつゆ知らず。

カジュアル面談後、あれよあれよと面接を勧められ、あれよあれよと面接のステージを進み、いつの間にか進太郎さんとの最終面接へ。気づいた時には内定が出ていました。

2016年 上半期

2016年1月にバックエンドエンジニアとして現職に入社しました。社員番号は百数十番目でした。初めての六本木ヒルズでの勤務、きれいなところだなー、とおのぼりさん気分でオフィスの扉を開けました。当時は六本木には数十人しかおらず、フロアの何割かしか使っていない状況でした。

PHPの開発を始めたのですが、いかんせんボロボロ。日本のPHP界を支えたエース級のソフトウェアエンジニア、そしてITインフラを支える腕利きのSREの人たちに囲まれ、僕が書いた現職の品質に耐えないコードに、プルリクエストのコメントが入りっぱなしでした。あの熱意に感動しつつも、その物量に圧倒され参っていたのもまた事実でした。試用期間の3ヶ月の間、帰宅すると相方から「葬式から帰ってきたみたい」と心配されるくらいです。

それからは、必死に毎日出社すると、昨日更新されたすべてのプルリクエストを読んで、PHPのコードの書き方と、業務をとにかく覚える日々でした。なんとか戦力になることに必死でした。夏ごろになると、ようやくなんとか一人でやっていけるほどになりました。なんとか見放さずに居させてもらえていて、これからは価値を提供せねばとという思いが強まってきました。

当初より、US版の開発に配属されたのですが、当時はコードベースが日本版とかなりの部分が共通でした。そんな中、出品のグロースを担当する部署で、アジリティここにありというスピード感満点の開発とリリースが繰り返されました。

2016年 下半期

ようやく現職に慣れて来た頃。US版の出品のグロースの担当は変わらずに取り組んでいた矢先、隣のチームで後に「招待爆発」と呼ばれるイベントが発生しました(詳細は「一晩でインストール数10倍、米AppStore3位に メルカリ「招待爆発」の裏側 | ログミー Biz」をどうぞ)。社内は大いに盛り上がっていました。

それから、所属するチームでKYCを始めとした本人確認の仕組みの開発が始まります。はじめはサービスのグロースと違う開発だったので戸惑いがあったのですが、過去にSIerに勤めていた経験もあり、業務知識最高やな!と気持ちを切り替えて乗り切ることができました。そして、これは後々活きてくることになります。

同時に、秋に初めて仕事で海外出張をすることができました。サンフランシスコのオフィスです。海外出張、ただそれだけで感慨深いものでした。

2017年 上半期

現職のサービスが、日本で誰もが知る状況なったのが、この頃でした。自分が担当するサービスが、mixiのように山手線内でみんなが当たり前のように使ってもらえたらいいなと願って約10年。本当にそういう時代が来たんだなと感慨深い日々でした。

僕は春から3ヶ月ほど、サンフランシスコに長期出張となりました(その頃の話は「サンフランシスコ出張を終えるにあたって」をどうぞ)。出張1週間前に指示されたできごとでしたが、会社のおかげで、本当に良い思いをさせてもらえました。こんなことは、なかなかできるものではありません。感謝にたえません。

2017年 下半期

日本に戻って、担当も日本版となりました。引き続きサービスのグロースのための開発に取り組んでいました。担当分野は変わるものの、昨年一緒に仕事をした同僚ともまた一緒になったため、割とやりやすい環境にありました。その中で、決済や出金といった割とコアな部分の担当もこなすことが増えてきました。これも、来年以降活きてくることになります。

また、急成長するサービスの前に、SREのメンバーとともにリアルISUCONに取り組みました。モニタリングツールで確認できる負荷の数値が減ると、グッとガッツポーズが出ます。また、この規模ですと結構な台数にインパクトが出るので、インフラコストに対してもポジティブに働きやすいのも、やりがいを感じやすい要因の一つになりました(詳細は「たのしいリアルISUCON – Mercari Engineering Blog」をどうぞ)。

会社もみるみる急成長。人の採用もどんどん進んで、フロアはますます広くなり、当初は空席ばかりで「本当にこんなに人を雇うの?」と感じていたのが杞憂だったどころか、「これ、今度どこに座ってもらうのだろう?」という状況になるのにはあまり時間はかかりませんでした。

2018年 上半期

1月より、この月から本格的に立ち上がる電子決済サービスの子会社であるメルペイに出向することになりました。昨年末に公募があり、応募したところ通りました。

この頃も、引き続き会社にたくさんの人が入社し続けました。特に、日本人ではない、外国籍の人がかなり増えてきたのが印象的で、社内公用語も自然と英語にシフトしていくのでした。サンフランシスコにいてなんとか英語を話していたものの、日本にいるとどうしても日本語を使ってしまうので、積極的に英語で話すよう努力するところから始めるのでした。

メルペイの立ち上げにあたって、まずはアーキテクチャを考えるところでかなり大変だったのを覚えています。その頃の話は「mercari tech conf 2018 で決済のマイクロサービス化についてお話してきました」にまとめていますので、どうぞ。同時に、Microservices化が進むようになり、会社内で使用するプログラミング言語もPHPからGoに急速に変わっていきました。状況の変化に追いつくので必死で、人の顔もわからなくなりつつあって、大変になってきたのを覚えています。

そして忘れてはいけないのは、6月19日の株式上場でした。このときの正直な気持ちをいうと、会社って上場できるんだ!ということでした。今まで勤めていた会社の中で「会社を上場させる」という話を聞いたことがあっても、実現できたのは今回が初めてでして、感慨もひとしおでした。上場日、会社の広場でワールドカップのグループステージを観戦しながら、日本のゴールのときに小泉さんとハイタッチしつつ、みんなで喜んでいたのをよく覚えています。

2018年 下半期

10月にPayPayがサービスインし、本格的な電子決済サービスの時代が幕を開けました。僕らも急ピッチで準備を進めている最中でした。

同時に取り組んだこととして、中学生・高校生向けのプログラミングコンテストである、情報オリンピックの世界大会の協賛に関わる取り組みを行なっていました(その模様は「第30回 国際情報オリンピックに協賛しました #ioi2018 – Mercari Engineering Blog」へ)。協賛を通じて、これからソフトウェアエンジニアになるかもしれない世界中の若人を応援できればという想いからでした。これ以降、次年度の日本国内大会の支援も継続しています。

現職は、人もますます増えていき、担当が細分化されていきました。僕は2017年の経験をベースに、出金部分に集中することになります。この時期は、まさに産みの苦しみに直面する時期でした。

そんな中、僕は初冬に体調を崩してしまい、年内は週休3日にする許可をもらってなんとか開発を続けました。今振り返ると、ほかのチームと、よくリリーススケジュールの足並みをそろえて開発しきれたなと思っています。スタートアップを何社も経験してきていますが、サービス立ち上げの追い込みのときほど苦しいものはありません。なぜこの苦しみをいつも味わってしまうのか、本当に反省が全くありません。

2019年

2月13日、とうとうメルペイがリリースできました。ただ、その後も運用がこなれるまでは様々な対応をする必要があり、まだまだがんばる必要がありました。とはいえ、リリースを迎え、社内は熱気に包まれていました。リリース後も、時々、組織が立ち上がってからリリースまでに撮影した写真やビデオを見返すのですが、その度に初心に返ることができます。会社のGoogle Driveに写真とビデオを、そのまとめはWikiに保存してありますので、社員の方はよければどうぞ。

その後、徐々に落ち着いていくと、運用を固めていく段階に入っていきます。SREばかりではなく、ソフトウェアエンジニアが運用・監視に責任を持つ、Microservicesならではの体制が浸透していきます(詳細は「How do we share troubleshooting skills – Mercari Engineering Blog」をどうぞ)。このエコシステムを運用できるようになっていく状況は、前職でインフラエンジニアをやっていた僕にとって、大変興味深いものでした。

同時に、セキュリティの知見を自分で深めるために、同僚と共にHardening Projectの予選・本戦に出場しました。レポートは「セキュリティの「衛り」の全国大会 Hardening II SU に出場してきたよ – Mercari Engineering Blog」にまとめてあります。また、Software Designへの寄稿の話ももらいました(「Software Design 短期連載「Webサービスを裏で支える!! バッチ処理設計の勘所」を終えて」をどうぞ)。

とはいえ、僕の主たる業務は決済・出金基盤の運用に注力するあまり、これといって「数字」に影響を与えられる開発に関与できていませんでした。むしろ、そうですね、もっと別の貢献の仕方があったのかもしれないと、今になって考えます。Alertチャネル(障害が起きた時の第一報を伝える全社向けSlackチャネル)を通じて一部の人に名を知られる状況になってしまったのも、何かあるとインパクトのある出金業務でお客様への影響は最小限だったとはいえ、大変不名誉なことでした。

また、ソフトウェアエンジニアリングを高等教育機関でしっかり学んできた若手が力をつけているところも、同時に見てきました。このことは、僕が自分のキャリアに対して危機感を持たせるには十二分な状況でした。

そして年末、退職することを決断しました。

2020年

3月末までに、今の業務をチームメンバーに引き継ぐ、このことだけにすべての力を注ぐことになりました。会社のバリューをしっかり実践する同僚のみんなに協力をもらい、出金に関わる複雑な業務、ステークホルダー、そしてソフトウェアの構造を引き継いでいきました。

その中で、リリース後は企画・開発・運用をほぼ一人でやってきた弊害として、資料化・可視化・再現性のある取り組みが足らないことを実感し、なんとしてでもそこを補強して組織で取り組むことができるようにすることが、僕の最後の使命でした。

この時期、みなさまの記憶にも新しいことですが、コロナウイルス騒動の影が徐々に濃くなりました。2月下旬、とうとう現職でも在宅勤務令が発令され、一人一人が自宅で業務を続行することになりました(「在宅勤務を半月以上取り組んで…会社で仕事するのがやっぱりいい」をどうぞ)。それは、僕が退職する3月末まで続いています。間に作った出社日に、何名かの方にごあいさつをすることができ、送別会もボスの取り計らいでオンラインで開催してもらうことができました。一時は誰にも挨拶できないのではと心配しましたが、なんとかなったことにはホッとしています。

今後について

4月1日より、新しい会社で働くことになります。2011年に飛び級して大学院に入学した時を思い出します。僕が新しいことに取り組むときは、いつも大変な波乱の中での始まりであると。

現職の社内で、キャリア形成に対して「韮」という考え方があります(韮については「メルペイからメルカリグループ全体のコーポレート統括へ。横田淳の決意 | mercan (メルカン)」をどうぞ)。僕はこの韮という言葉に大変感銘を受けて、これからはソフトウェアエンジニアとしてのこれまでのキャリアを韮の1本目として、もう1本をこれから作っていくよう取り組んで行こうとしています。どうなるかわかりませんが、新しい挑戦を通じてまた新たな価値を生み出して、世の中に貢献していく所存です。

おわりに

エキサイティングな職場で、エキサイトせずに冷静に物事を進めるプロフェッショナルの集団、それが現職でした。

ただ、僕は特に歴史に名を刻むどころか、バリュー賞をはじめとした目立った賞を取ることもなく、ただただその時々に必要な仕事に取り組んだ一社員に過ぎませんでした。

とはいえ、その歴史の渦中に身を置けたことは、何事にも代えがたい貴重な経験でした。そのことには、本当に感謝にたえません。そして、僕も他のお客様と同様、メルカリが生活の一部となりました。もう一度同じ経験ができるとは、正直思い難いほどです。

とても長くなりました。

4年3ヶ月いた現職を去ることにはなりますが、引き続き「インターネット株式会社」には所属しています。本来ならば、現職の皆様には直接ごあいさつをしたいところなのですが、このコロナウイルスに伴う在宅勤務が続く状況でそれも叶わず、残念です。またどこかでお会いすることがありましたら、どうぞよろしくお願いします。

そして、関わっていただいたすべての皆様に、深く、深く感謝をいたします。どうもありがとうございました。

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