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ジェネラリストはまずスペシャリストであること?

■僕は何者だ

僕は、人からこんな風に紹介されます。

  • こえむさんは『プログラマ』ですよ。
  • 斎藤さんはですね『検索エンジン』を作れる人ですよ。
  • 祐一郎は『プロダクトマネージャ』で、インターネットサービスの立ち上げと運営が出来るんだよ。
  • うちの社員の斎藤は『インフラエンジニア』で、社内のサーバを守ってるんですよ。
  • 社会人大学院』でクラスメイトの斎藤君だよ。

てんで、バラバラです。本当にそうか、振り返ってみたいと思います。

一つ目のプログラマ。僕が仕事でプログラムをみっちり書いたのは、3年前が最後です。それ以来、担当業務としてプログラミングはしていません。ちょっとしたツールは書きましたが、それはプログラマでなくても可能です。最近まじめにコードを書いたのは、大学院で出た課題です。従って、今はプログラマではありません。

二つ目の検索エンジン。2008年の初旬にある研究所でちょっとだけ働いていましたし、検索エンジンで用いられるアルゴリズムを用いたサービス『シムエントリ』を作りました。ただ、自然言語処理に本気で取り組んでいる研究者の足下にも及びません。従って、検索エンジンを作れるだなんてとても言えません。

次のプロダクトマネージャ。インターネットサービス立ち上げの際、無事にリリースするために必要となるプロジェクトマネジメント、およびその後の運営・改善活動の先頭を切ることは出来ます。しかし、僕は最後は期待した収益を上げることが出来ず、実質クビになっています。これは、プロダクトマネージャではなくて、プロジェクトマネージャですよね。お金を稼ぐことが出来ていません。

その次のインフラはどうでしょうか。実は、20代前半の頃…2000年の前半ですね、この頃に1日数百万PVでサーバも数十台のサービスのインフラを一人で運営していたことがあります。プログラマは一杯いましたが、インフラが面倒見られる人はあまり多くないのは今も昔も変わりありません。この頃は確かに誇れる技術があったと思います。しかし、今は正直なところタダのサーバ管理者です。社内の基幹システム・サービスの運用管理なんて誰でもできる仕事です。現在のインフラは高性能なハードウェア(SSDやGPUが代表的)を使いながら多量のリクエストを捌いたりすることが面白いのであり、普通のシステムの運用はAmazon EC2でも借りてやれば普通にまわせるのです。たったサーバ1ラックに少しのIaaSサービスを回す程度で、インフラエンジニアだと言うのが恥ずかしいです。

最後の社会人大学院のクラスメイト。事実をそのまま僕自身が受け入れられるのは、正直これだけです。

■一つのことに集中できる同僚がうらやましい

今勤めている会社は、小さな中小企業です。ただ、仕事はIT系ではあまりみたことがない、かなり分業が進んだ仕事の回し方をしています。小さな企業ですのでいろいろな周辺業務がありますが、彼らはあまり関知していません。プログラマならプログラムだけに集中するのです。

正直、少し手伝ってほしいと思うことはよくあります。今まで勤めていた所ではこんなことは無かったと心の叫びを抑えつつ日々を過ごすのがやっと。でも、プログラマであればプログラミングを専業としているので、仕事が非常に明確になります。当然、周りに対するプレゼンスもあがりやすくなります。

僕ですか?何をやっているかわからない人と言うのが実態です。あいつは仕事をしていない、仕事をしろというメールが飛んできて心が折れかけることもしばしあります。しかし、冒頭に書きましたが、これだけなんでもやっていると果たして何屋か訳が分からなくなるのは無理はありません。直属の上司だって全てはわからないのです。説明しろと言えば出来ますが、そもそもそのようなわかりづらい仕事をしていることが問題です。

それを思うと、僕もサーバサイドのプログラムをバリバリ書いて社内のプレゼンスをあげたいという欲望にかられます。

■学際は専門ありき

専門がコンピュータとは全く違う、ある教授に相談に乗っていただいた時のお話。

「斎藤さん、学際って言いますけど、あれは元々自分が持つ専門が確立しているから際立つんですよ。どの分野もピンと立たないと、論文が映えません。何を主張しているかさっぱりわからないからです。ピンと立った分野が充実した上で、更に違う分野が色を付けることで、はじめて論文が映えるんですよ。新しい分野を開拓しているからです。」

グサッ、と来ました。僕は、何を主軸にして活動するか、これまで全く決めずに物事に取り組み続けてしまっていたのでした。

短期で結果が出ることを主眼に、どんどん新しい分野に頭を突っ込んできました。20代はそれでよかったのです。若い時は、少しでも人並み以上にやるとたいてい結果が出ます。しかし、深堀りはしてこなかったのです。人から求められ、それを達成するときに返ってくるフィードバックを期待して、右に左にと転向してしまった結果、今の状況を作っています。

■今 改めて掘り下げるきっかけを掴む

僕が大学院に入れたのは、多分、天の神様が「そろそろ行っておいた方がいいのでは」と招待してくれたのではないかと思うのです。大学院で学問に励むことと同時に、専門性を高めることを奨励されている環境なのです。それも、今までの社会人経験は踏まえてよい、という特典つきで。

これは、僕が今まさに解決しなければならない課題を解決する機会を与えてもらったと理解しています。少なくても、大学院の試験をパスしたのですから、パスできる水準はクリアする能力は獲得できている自信があります。

でも、何を専門にしましょうか。そこがまだ詰め切れていません。ですから、しっかり計画して行動せねばなりません。

■ジェネラリスト

大企業には、あらゆる分野を統合して全体最適をとる『ジェネラリスト』という人がいるそうです。トヨタにも、製品を統括する主査がいるんだそうです。各分野の優秀な技術者・デザイナをまとめあげ製品の成否に対して責任を負う役職です。スタートアップの企業でも、ほぼ全ての社長はそのような立場になっています。

そのような主査の立場…いわゆるジェネラリストのポジションにある人も、元をたどれば何かの専門家であることがあります。まるで先ほどの『学際』のようです。一つ際立った所があり、更に周辺の物事がその人の色を更に際立たせる流れ、そのものではないでしょうか。

僕は順序がずれてしまいました。ただ、体力がある20代のうちにいろいろなことが学べたこと、そしてそのことの限界に早く気づけたことは運が良かった。ですから、30代は専門性を深めることに注力していくことにします。初めて取り組むことですから苦しみそうですが、これまでも何とかやってきましたから、あきらめずに今回も乗り切って行ければ道は開けると信じるだけです。

僕が求める仕事の像は、あらゆる分野の専門家が集まり各々が知恵と能力を発揮するための環境を作り、最高の製品を作り上げる仕組みを作ることです。何が作りたいのかはまだ見えていません。ただ、それを実行できる環境に間違いなく近づけているから、モティベーションが続いているのです。


社会人大学院生活 M1 2学期突入

■モティベーションの源とは何か

ある日、元同僚と夕飯を食べに行った際の会話。

「学歴コンプレックスが無くなった今、何を原動力にするんですか?」

この10年、ずっと抱いていた学歴に対する負い目をずっと感じながら生きてきました。僕は東大卒の人間には実績で勝ってやる、情報系の学科を出ているのにプログラムが書けないなんてひどいもんだ、それくらいのことは毎日考えていました。そこまで言うのですから、誰よりも努力を惜しまず生き続けてきました。

同時に、学歴が無くてチャンスを取り逃している、という悔しさも抱いていました。大企業であればもっと専門性高くかつ高額報酬で生活できるのに、と。

そしてこの4月からの大学院。この悔しさを感じる必要が無くなりました。そんな中で、先の話は僕が抱えていた問題の核心を突いています。

■ところで大学院では何を学ぶのか

話を大学院に戻しましょう。社会人大学院、特にビジネススクールで学ぶことというと、多くの方はケースメソッドによるディスカッションというイメージを抱かれると思います。実際にビジネススクールへ通われた方なら、尚更です。しかし、筑波大学GSSMではあまりケースメソッドはやりません。

では、何をやるのかと言いますと、修論を書くことを通じて新しい領域を自ら開拓する力をつけて行きます。一般的な大学院では、これまで開拓されなかった研究分野を掘り下げ、論文を発表することを通じて新しい分野を切り開いて行くのが普通です。それとあまり変わりありません。更に、社会人であることを武器に職務経験も用いて研究テーマを導き出す点に特徴があります。講義は、研究を進める上での力をつける時間で、こなすことがゴールにはなりません。

えっ、これでは広く設けられている研究科と一緒ではないか!?と思われるでしょう。その感覚は間違っていません。多分、GSSMにケースメソッドを通じてビジネスに活用できる知識を獲得できることを期待すると、残念な結果になるでしょう。MBAの学位は取れますが、ね。

それよりも、今の仕事の中でより専門的な知識を必要としている、そして新しい分野を開拓する力をつけて行きたい、と願う人にとっては、とても楽しい学問の場になるはずです。

■1学期はどんな感じなのか?

1学期は、経理の人がUMLのクラス図を書きながら要求開発を学び、僕のような技術者が会計のT勘定の付け方を理解し、営業の人がC言語でポインタを覚える、という流れです。びっくりですね。営業職の人がC言語のポインタと配列を使ったコードが書ける、というだけでプログラミングをしたことがある方ならそのすごさをわかっていただけるはずです。

大学に行ったことが無いのでわかりませんが、恐らく一般教養をより専門的、かつ実務にあわせたカリキュラムに圧縮して学ぶという過程になります。今まで理解できなかった自分とは違う職種の仕事について学習していくことで、業界・職種の壁を越えた「プロトコルの統一」ができるのがわかります。

面白いのが、各専門の人同士で、情報の交換があるということです。会計は経理の人に、プログラミングなら僕のようなコンピュータエンジニアに、それぞれ情報を求めるのです。しかし、カンニングをするという訳ではありません。理解を促すために情報交換をするのです。これで単位を取りつつ活きた知識が教授以外からも得られるなら、いいじゃないですか。しんどいですけどね。

そして、その上で主指導の教授を選びます。入学時には選びません、1学期中に選びます。様々な分野の講義を受けた後、自分の掘り下げたい分野をもとに教授を選ぶ…とはならず、たいてい掘り下げたいテーマを探し直すことから始めます(※1)。その際、様々な分野の教授に話を伺うことで、その方向性を固めて行くというパターンの方が多い気がします。僕もそうです。

成績もそろそろ出てきています。それなりによかったのですが、絶対評価ですから多分他のクラスメイトもそれなりにいい評価が出ていることでしょう。それ以上に修論をどうするかが重要です。

■2学期は…

2学期から、講義は徐々に専門性を帯びてきます。僕は統計解析とコンピュータに関する講義を中心に取っています。他にも、マーケティング、経営組織論、ファイナンス系をはじめとした経営に関する分野の講義も一部取っています。そもそも経営に関する学問を深める研究科ですが、数理やコンピュータに関することが取り組める点は、企画・営業ばかりでなく技術系の社会人にとっても非常によい機会です。

講義を受けながら感じるのは、日本は Operations Management についての教育をあまりしてこなかったのでは、ということです。小売りであればPOSデータ、インターネットサービスであればアクセス数や購買履歴、そして流通であればSCMなど、数値を用いて戦略を立てなければならない場所は数多くあるのにも関わらず、学校で学ぶ機会は少ないのではないでしょうか。技術者がもっと経営に関わることが出来るチャンスとも言えます。

そう考えますと、技術者はもっと前に出てもよいのでは、そして自分が更に前に出てみたくなります。

■それでは何を原動力にするのか

講義後に飲み会に参加した際、負い目を感じながら生きてきたことは講義をしていただいた教授に見抜かれていました。言葉の端々にそれを感じた、と。GSSMは社会人経験を持った学生ばかりが集まる所ですから、多くの学生を見ていらっしゃる中でピンと来たのだと思います。それは、別に僕のような人間でなくても、社会人に対して理解がある教授が多いとも言えるはずです。

講義は確実に進んでいます。でも、講義はプロセス。ゴールへ向かうための修論の研究を始めるのは苦しくてたまりませんが、決して嫌いではありません。やったことが無い分野で慣れも無いことから、苦しむのだと自分に言い聞かせています。主指導を担当していただいている教授にも、研究活動のいいスタートを切らせていただいていて安心しています(※2)。

では、何を原動力にするのか。正直、今は何も考えていません。考えなくても、体が動いてくれるのです。これは不思議な感覚です。誰を敵に回すことも無く、あえて言うなら多くの人を取り込んでいく。うまく行きはじめていますので、まずは問題が出るまで走ってみようと、意気込んでいます。

※1 研究計画発表というのがありますが、たいていのクラスメイトは教授からバシバシと問題点を突かれ、ぐったりするのが定番です。それを踏まえて、研究計画を練り直す動機を立てます。すんなり行く人は、片手で数えるくらいかなぁ…。

※2 研究計画の練り直しが思うように進んでない、ヤバい、ヤバい!


東京電力の株主総会とは何だったのか

前にもこのブログでお話ししましたが、僕は震災直後に東京電力の株式を購入しました。個人投資家がずいぶんと買い付けに走っていたようですが、僕はあくまで自分の仕事を支えている電力について当事者意識を持ちつづけたいという意図から、購入に踏み切りました。

そして、多くの投資関係者、いや、世間が注目していたであろう株主総会へ足を運ぶ権利も生まれます。いかないという選択肢は、僕にはありませんでした。時代の1ページに残るイベントになるであろうこの機会を、どうにかこの目で見ておきたいという気持ちは、押さえようが無かったのです。

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■僕は悔しい

感想から書きます。僕は、この株主総会に参加して、とても悔しい想いだけが残りました。

確かに、この状況を招いた経営陣には極めて重い責任があり、補償に対する引当金が全く積まれていない決算書を承認した監査結果について強い疑念が出るのは当然です。しかし、あの株主総会の場で、経営陣を必要以上に責めることが本当によかったことなのでしょうか。あの場で何かをやることで、大きく世界が動くとでも思えるのでしょうか。

動議を発すること自体は否定しません。でも、議長を変えるにしても、誰に変えたかったのでしょうか。代打で議長をやる適任者があの場にいたのかというと、恐らく多くの人はいないと思っていたでしょう。その上で、動議の最中に自分たちの反原発に対する想いを述べ始められても、株主として取締役からの報告を聞きに来た僕らにはその準備は全くありません。

質疑についてもそうです。原発事故直前まで安定していた株価と配当が一瞬にしてパーになる、それに対して怒りが沸くのは当然です。でも、その議論よりも、原発事故に対する経営責任について、経営者の責任を明らかに逸脱した要求や罵倒にも近い発言を投げつけることが、原発事故問題の解決に至るのでしょうか。自分や身内の経歴自慢なんてもってのほか。似たような批判で怒られ慣れてしまった経営陣に、その言葉は本当に響くとは思えません。

東京電力の個人株主の多くが、今の状況を少しでも改善することに希望をつなぎ、新しい未来を形作ることに興味・関心を抱いていれば、6時間あまりの時間がこんなことに費やされるなんてあるわけがないのです。

■僕が東電に求めるのはあくまで安定した電力供給だ

コンピュータエンジニアで生計を立てる僕は、東京電力の極めて安定した電力供給についてはこれまでずっと感謝し続けてきました。海外で、ここまで安定して電力が供給される国というのは、実はそれほど無いのです(『欧米の制度改革とその効果及び評価 – 資源エネルギー庁(平成17年)』)。米国でUPS(無停電電源装置、いわゆる非常用バッテリ)の企業があれほど儲かっているのは、米国の電力供給が日本ほどには安定していない事情もあるからです。

しかし、原発事故を機に、電力供給の安定性が揺らいでいます。初春の計画停電、そして現在行われているぎりぎりの節電努力による停電回避。水道の蛇口をひねれば水が出てきたように、コンセントにプラグを差せば当たり前のように電気が供給されたのは、過去の話です。

では、今後どうしていけばいいのか。ここを考えなければならないと、日本の未来はありません。

今、原発の代わりに火力発電のウェイトが高まっていますが、火力発電にもリスクがあります。二酸化炭素ももちろんですが、最も怖いのが中東情勢です。中東で何かが起きると、遅かれ早かれ燃料費が高騰し、最終的には枯渇します。最悪、火力も原発も止まりアルメニアのように電気が無く凍える冬を過ごすことになるのかもしれません。これはオーバーでしょうか。でも、原発事故が実際に発生するかどうかなんて、専門外の人たちは現在ほどは現実的に想定したことは過去に無かったはずです。

■電力の供給は全方位で考えられる

電力供給の問題に立ち向かうには、発電ばかりが観点になる訳ではありません。

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まず、需要側といえば節電。関東の皆さんは、本当に全力で節電に取り組んでいます。何とか冷やせているエアコン、日中は蛍光灯さえ消された電車、ピークシフトで電源ケーブルを抜いたノートパソコン。何とかがんばれてますよね。これ、ずっと続けるとなると、ぞっとしますでしょうか。せめて休日シフトが無くなればとは思っていますが、これを機に積極的にピークシフトは強く意識する必要があると僕は考えています。

続いて、配電。スマートグリッドという言葉、聞かれたことがある方も増えていると思います。自家発電と電力会社からの供給をハイブリッドに使い分けるという理解が浸透しています。ただ、これ以外にも考え方があります。米国では、デマンドレスポンスと言って、生死に関わる物は別として、それ以外の電力を柔軟に計画停電できるネットワークが組まれています。この事実は、東京電力自身が2009年に総務省にて発表されています(『日本型スマートグリッドに向けて – 東京電力(平成21年)』)。

最後に、発電。自然エネルギーの活用が叫ばれていますが、太陽光発電はどうしても出力が安定しないことと、先の東電の資料ではピークパワーが必要な夏の需要に必ずしも応えられるものではないと記されています(11ページ)。火力も今はいいが世界情勢を鑑みたリスクヘッジが必要になることは間違いありません。そうすると、原発は直ちに停止できるものなのでしょうか、という議論もする必要があります。

同時に、需要側の自己防衛も本格的に検討を始める必要があります。今は太陽光発電がメジャーですが、都市ガスを使った燃料電池、ピークシフトを可能にする蓄電池システムなど、選択肢が増えてきています。

つらつらと書いてきましたが、要は電力供給の安定には様々な要素を吟味しなければならない、ことは間違いありません。

■東電の立場は苦しいのは自明 でも原発だけが問題なのではない

電力供給のハイブリッド化が進むと、東電の経営基盤に大きなパラダイムシフトが起こります。自分たちが形成してきた『聖域』に、他業種を踏み込ませることを認めることになるのです。NTTが引っ張った光ファイバーの上に、KDDIとソフトバンクが乗ってくるように、です。自動車会社が作ったプラグインハイブリッド車が蓄電池を兼ね、ガス会社が作った燃料電池発電システムが稼働する家庭を、東電が認めるでしょうか。

先の資料の18ページ(最終ページ)に、東電自身が「電力供給のスマート化は進展している」と言及しています。要は、僕らを信じろと、あの時は言っていたのです。でも、現状はそうではなくなりました。

ここで、東電の経営層がどう考えているか、僕は質問したかったんですが最後まで機会を得ることは出来ませんでした。ずばっと、デマンドレスポンスと火力の供給リスクについてだけでも聞けば、この話題の主要なポイントは押さえられると思っていましたが、そんな機会など得られるはずも無く。

■未来は現役世代が自分自身で責任もって作ろう

東電の個人株主の方は、恐らく老後の資金を安定運用するために買っていたのだろうと思います。でも、原発事故を機に、いや、今後起こるべくして起こった電力供給の安定性に対する課題がここでわっと吹き上がりました。しかし、総会でそのことを気にして発言している株主はごく少数なのです。

しかし、電気が無くて経済活動が行えなくなるのは、他でもなく僕ら現役世代です。その僕らが電力供給に関心を持つことが、未来の安定供給を担保するために必要な第一歩であると考えます。それは、原発の白黒、自然エネルギーの積極導入だけではない、一人一人がもっと幅広い興味関心と、その先にある意見を持つことであることを、僕は疑いません。それが世論となり、東電や国を動かすのではと期待しています。

製造業では、既に海外シフトが始まっています。このままだと、日本に仕事は無くなるかもしれません。そこまで追いつめられているのです。少なくても、経営陣を責め続けるだけで電力の安定供給が揺らいだ現実が解決するはずが無いのです。

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※参考文献

※追伸

  • IR担当に後日直接聞くのはいいですよ、と総会で言ってもらえましたので、もう少しまとめてから聞いてみようと思います。
  • 詳細な様子については今回は記事の趣旨と合致しないのであまり書いてませんが、聞きたい人がいれば個別にします。少なくても、新聞報道とはまた違った現実を知っていただけるはずです。

大学院での講義が始まりました

この4月から、筑波大学GSSMでの講義が始まりました。どんな調子でやっているか、ちょっと書き残しておこうと思います。

■予想通りのハードスケジュール

こんなきついスケジュールは、株式投資システムの開発をやっていた頃以来じゃないかと思います。

多くのクラスメイトはM1の時に単位をほとんど取りきり、M2で研究に集中するというプランを立てます。そして、講義は火曜日〜金曜日の夜、そして土曜日は終日行われます。そのため、M1の前半は講義づくし!僕は、会計や経営戦略論に頭を悩ませ、数理系の講義で演習をガッツリこなし、コンピュータサイエンス系の講義を自分のペースで取り組む、そんな感じで講義を受けます。

また、課題(=宿題)はもう毎回のように出ます。ボリュームも満点。このGWは狙ったようにガツンと課題が出ており、涙目ここに極まります。今のところは期限に間に合わなかったという状況は回避できていますが、この先もそれが維持できるのかは自信がありません。食らいつくまでです。

もちろん、仕事は勤務時間こそ上司にコントロールしてもらっていますが、やる内容はほとんど変わっていませんからやりくりを考えなくてはなりません。パフォーマンスが下がったなんて見られたら、しゃくですからね。

■研究

GSSMはMBA(※1)を取れるということになっていますが、実態は『経営システム科学専攻』の名の通り、研究をしっかりやることがポイントになります。僕はじっくりと未知の分野に取り組みたかったので期待通りですし、その研究の基盤を固めるためのものとして講義があると考えていますので、何とか乗り切りたいという気持ちです。

多くの大学院では、おそらく入学時点で主指導教員が決まっているかと思うのですが、GSSMでは1学期中に決めることになっています。それにあたって事前に経るプロセスとして『研究計画の概要発表』があります。これは、クラスメイトはさることながら、GSSM専属の教授から自分の研究の方針についてとても厳しい指導が入ります。言い換えますと、この先に待っている研究の厳しさを、最初に味わうことになるであろうイニシエーションなのです。僕は5月下旬にあるのですが、戦々恐々としている次第です…。論文発表以上にビビってます。

■集団戦法

さすが社会人大学院でありまして、各分野のエキスパートがいます。自分の分野となれば朝まで一家言話せるような人ばかりです。そんなご縁を通じて、ある意味「スムーズに」課題や研究を進める関係作りが大切になります。

しかし、僕のような技術者は、営業や企画などをやっている人に比べたら「非コミュ」なのです。仕事の中でコミュニケーションをとることがどんなに易しいもので、かつ技術者という肩書きである程度見逃してもらえたのかということを痛感します。黙っているのはもってのほか、だからといって嫌みの無い程度にアピールするというのはバランスが難しく容易ではありません。

でも、もたもたしていては全くらちがあきません。少なくても、クラスメイト同士の情報交換が無ければ、研究にたどり着くまでに必要な単位取得さえもままならなくなります。実際、僕は会計がマジでヤバい(苦笑)。悩んでいる暇はない、ということだけはわかりました。クラスメイトのネットワークを効率的に使ってよりよくレポートをこなしている人を見ると、焦らないはずがありません。

■勉強って楽しいものなのか

途上国の子供が、時折「学校で勉強してビッグになるんだ」ということを語るドキュメンタリー番組をご覧になられた方がいらっしゃるかと思います。僕も、つい最近までは「勉強は辛い」としか考えたことがありませんでした。

でも、今は違います。こうして大学院で学ぶ機会を得られたことが、とてもうれしくてたまりません。昔の僕を知る人だと『とうとうあいつは気が違えたか?』と思われても仕方ないでしょう。でも、僕が10年間の間にどうしても必要だ、と思い続けたことを今まさに取り組むことができているのです。集中して勉強に取り組むことが出来るのは、極めて貴重な機会なのです。

学歴が無くて、コンピュータサイエンスの知識が無い状態で技術者もどきを続けて、そして未来につながる力が無いのを怯えつつを10年過ごし続けました。それを自分の力で脱し、切り開くチャンスをもらえたのです。講義はしんどいのですが、それを厭わず研究のステージへ踏み出すための通過点と思えばやりきるしかありません。

10年前の僕は、勉強なんてあほらしくて、授業中は寝るし宿題もかまけるようなひどい生徒でした。それを後悔することはありますが、それはもう戻ってこない時間です。また同じ状況を繰り返すのは全く学習していないことに等しく、次は無いというプレッシャーを抱きながら毎日を過ごしています。

M1は時間との勝負を続ける毎日になります。これまでのおつきあいがちょっと疎かになるかもしれません。その節は、どうか大目に見ていただけたら幸いです。

※1 『経営システム科学』という、コンピュータサイエンスと経営を絡めたという意味を持った学位もあります。僕はMBAのどちらにするかはまだ決めていません。というか、先ずは単位を取らねば!


働き出して10年が経つ これまでとこれから

この4月で、働き始めて10年になります。大学院へ行く事もあり、最近は会社の上司に仕事量の調整を始めてもらっています。そのため、働いているのにも関わらずかつて無いほど余裕のある状況…言うなれば『モラトリアム』に近い日々を過ごしています。

僕は、ちょっと余裕があるといろんな事を考えてしまう性格でして、幾度となくこうしてブログを始めとした表に出るメディアに想いを書く事で整理してきました。もうすぐ10年という事で、これまでを振り返って整理して行きたいと思います。

■どうして働き始めたのか

どうして高卒で働き始めたのか。それは、大学受験に失敗したからです。「東京の予備校でなら合格できる」と今考えたらひどい理屈で東京にわざわざ引っ越させてもらい、予備校に通いつつ慶應義塾大学のSFCを受験しましたが、箸にも棒にもかからず玉砕。最終結果が分かったときに、電話口で父に対して「働きます」と涙を流して詫びた事を昨日のように覚えています。

幸い、住んでいる場所が父が東京に残した家だったため生活費は継続して支援してもらえる事となりましたが、この時2001年は就職氷河期の最悪期。それでも乗り越えなければなりませんから、たくさんの応募書類を書いて面談に通いました。

■開発の流れを教わった大企業での経験

そんな中、運良く大手IT企業の開発子会社の契約社員になる機会を得ました。高校生の頃に書いていたオンラインソフトの経験があってなんとかチャンスを得た形ですが、最初の契約期間は3か月。結果が出なければ即刻クビです。ですから、もうしがみつくようにコンピュータの前でプログラムを書きまくりました。誰よりも速く、誰よりも品質が高く、そして誰よりも信頼されるように。ちょうど、クラサバアプリとWebアプリの切替期だったこともあり、両方書く力が求められ混沌ともしていました。

そんな中、大手IT企業は『開発標準』というのが徹底的に整備されており、その流れと目的をしっかり通すことになります。これは、開発とはどう行われるべきかの基礎を理解するすばらしい機会となりました。

最終的には約1年半在籍しました。正直な所、きっかけはその際お世話になった課長に拾ってもらったに近い境遇でありましたが、このキャリアは自分自身のレピュテーションを安定させるすばらしい経歴となりました。

■能力を一気に拡大させたベンチャー企業での経験

次に転職した、株式情報サイトを運営するベンチャー企業には4年いました。ここでの経験は、限界というラインを一気に底上げし、能力という幅を一気に押し広げ、そして企業が成長して行く様を肌で感じる、ハードながらも思い出深い体験でした。

転職したその頃の日記を見ますと、かなりへばっている事がよくわかります。会社の状況が非常に厳しい創業期に入社した事もあり、1ヶ月でサイトをリニューアルする仕事が一番最初の仕事でした。今ではWeb系の開発ではこの水準は珍しくありませんが、この時期はフレームワークを始めとした短期開発の基盤がそれほど出回っていない時期でして、どのようにすれば開発が速くなるのか?というのをほぼ同時期に入社した先輩2人を含めた3人でコードを書きながら試行錯誤したものでした。

また、この会社の社長はパーソナリティが非常に強い方であり、かつサービスの方向性を決定づける重要なポジションに立つ方でした。そのため、社長から適切に要件を吸い上げ、サービスに展開させなければなりません。また、開発期間も短いため、高効率なプロジェクトマネジメントが欠かせません。こうしているうちに、プログラミングばかりではなく、自然と上流工程に興味を持つようになりました。

そして、サービスはソフトを充実させればさせるほど、お客様窓口を手堅くすればするほど、そしてレピュテーションがあがればあがるほど、お客様が増えつつ利益が倍々で増えて行きました。これも、現在成功していると言われているベンチャー企業では当たり前ですが、ソフトウェアサービス事業は製造原価がほぼ固定されていますから、損益分岐点を越えるとその後はほぼ全て売り上げです。

今現在の自分の背景、それは技術やマネジメント、ひいてはお金の流れについての知識と経験は、この頃に確立できました。4年でしたが、何十年も勤めたような気がするほど、密度の濃い時間を過ごせたように思います。

ただ、人間とは慣れが出るもので、最後はちょっと伸び悩みました。その頃のブログにはこう書き残していました。

僕は同じ場所に4年以上いることって、人生ではじめてなんです。
いつもは2~3年ごとに別の土地・学校へ移り、そのたびに新しい人と出会い、生活の場を開拓してきました。
しかし、4年いたせいか「慣れ」が出て、それが今まで自分になかった種類の「甘え」が出始めていたのは事実です。もちろん人間ですから、誰しも甘えは持っていると思うのですが、「安住」し始めていたんです。
僕の今までたどったことって、いつも「新鮮」で「開拓」する流れだったのに、これまでとは全く違う、それも悪い方向に流れるなんて、これはいけない。ってね。

■多くのお客様を巡った3社目

3社目は、地域ポータルサイトやEコマースサービスを立ち上げるSI会社に勤める事になりました。

この会社は広島県の福山市にあり東京に本社が無いベンチャー企業でしたが、商品開発を通じてレピュテーションが上昇している時期で、自社サービス開発・展開を強化する任に着く事になりました。

お客様は北こそ東京どまりでしたが、南は鹿児島にまでありまして、1ヶ月に数回は出張に出かけました。地域を盛り立て、ビジネスを盛り立てるお手伝いができ、非常に楽しい仕事ができました。また、これほどインターネットサービスが普及していても、最新の情報、特に技術情報が東京に一極集中状態であり、東京以外の地域をまわる事で日本全体のITリテラシーを底上げできるのではないのかと思う事もありました。

しかし、これまでと違ったのは社内調整の難しさという洗礼に遭いました。正直、これを通じて自分が精神的に弱かったことを露呈する結果になった事は、苦い思い出です。前職は、社長の元で全社挙げて行動を起こしていたため、価値観が1点に収束していたためあまり気にせずに仕事ができていた事を、このときに知ったのでした。また、今後の仕事での重要な示唆に富んだものでもありました。

最終的には追われるように去った、1年半でした。

■コンピュータサイエンスの大切さを知った中継ぎ期間

今の会社に勤め始める前、3ヶ月ほど間が空いた期間がありました。

その際、特別な仕組みの元に運営されている機関の研究所に、プログラミングのアルバイトという形で少しだけ仕事をしていました。そこで、自然言語処理のことを学びながら、久々にプログラミングの没頭する毎日でした。同時に、プログラミングをする上でのコンピュータサイエンスの知識の無さを痛感しました。今、大学院に通う選択の原点はここにあります。

また、この頃からスキーや自転車を始めとした、今につながるアウトドアのアクティビティに再び始めることにもなります。仕事が限定されていた事、そして一緒に働いていた方もプライベートを充実させる事を大切にされていた事が影響したのでしょう。こういったバランスを取る事で、仕事に対しても広い視野で取り組めるようになった事は大きな出来事でした。

そして、大組織を通じて人のつながりの大切さを感じました。1年目の時には感じませんでしたが、多分見る視点が変わってきたのだろうと思います。

大企業、特に創業から数十年経過している大企業と言うのは『人を大切にする』土壌が整っていることが多いように感じます。
その反面、中小企業は年がら年中「人が足りない」と言って求人広告を出し続けます。この費用を、少しでも人を大切にする、たとえば人材教育にまわすことができたなら、人を増やさずも社内に「会社の価値を高める人」が増えていくのに。と思いました。

■多彩な価値観に置かれる現在

今の会社に勤めるようになって、もうすぐ3年になります。

入社時、人員のリストラの直後でした。すぐ転職とならなかったのは、これが原因だったのです。社内は大変混沌としており、時には「あなたは何をしにきたのだ」とさえ言われました。僕には、技術者としての任務もさることながら、その裏には会社の状況を変革してほしいという命題が経営層からありました。また、ここは元はゲーム会社ですが、僕が入社する頃から様々な出身者…SI・TV業界・通信会社・専門学校関係者など、多彩な価値観をもつ人が増え、ゴールへの焦点の当て方を考えるにも簡単でないのも、事を難しくしました。

まず、2ヶ月で公式携帯サイトの立ち上げと言う、久々ハイスピードなプログラミングからスタートです。続いて、会社の文化をよりよくしようと創造と変革のための活動を通じ、社内の風紀や規律を整えることもやりました。ITインフラも大変な状況でしたので、なんとか投資をし再整備に理解をしてもらおうと説明に走り回った事も、つい最近のことです。

今年度に入り、ようやく本領を発揮できるSIに関するマネジメントや技術要件・設計に携われるようになり、落ち着いて仕事に取り組めるようになりました。その甲斐あって、大学院を目指す準備もしっかり行う事ができました。僕自身ではまだまだとはいえ、組織的にビジネスを進めるスタイルも様になり、一段落です。

ただ、入社した頃から続く憎まれ役として耐えなければならない状況は続いています。そんな中、今年度から部署を支えてくれる2人の上司に助けを得ながら、なんとか自分の身を立てつつビジネスへ最大限貢献する事に集中するよう、能動的に意識する毎日です。精神的にはまだまだ独り立ちとは行っていませんが、次に自分がそう言った立場になった際の糧になるよう学び続ける事を忘れないようにしたいと思っています。

その傍ら、外部の勉強会の参加・発表もより積極的に取り組むようになりました。勉強会を通じ、仲間を社内ばかりではなく社外を通じて広く求め、あわよくばパートナーとして一緒にビジネスを進める形態を推進しています。これは徐々に成果が出てきており、これからの中小IT企業はこうしていくことで強みを補完すればまた面白いビジネスを展開できるのではと想像が膨らむ毎日です。そのためには、まずは発信が必要だということも身をもってわかりました。

■これまでとこれから

正直なことを言うと、プログラミングの知識をもっと専門化・先鋭化させたかったなと思っています。ちょうど僕の年代の人で、プログラミングに長け内外からの評価が高い人を見るようになりました。そうして行ければ身を立てやすく、かつ自身の元に集まる人も増やしやすいのではと思うと、うらやましいのです。自分の能力には、目に見えてレピュテーションや結果が出ていると実感できる事は無いものですから。

ただ、こうして10年の歩みを考えると、経緯的にも能力をプログラミングに先鋭化する方向にはなりませんでした。自分が意識的にやらなかったせいはありますし、至近で必要とされるものを自分なりに広く考えて行った結果、こうなっています。最高の結果ではないのですが、少しの成果と明日につながる道はできました。

4月から筑波大学で経営の勉強をしつつコンピュータサイエンスを学ぶにあたって、今は花咲いていないITに関する技術と経営の2側面からのマネジメント…最後は決断力を高めることに力を注ぎ、今注目されている彼らとはまた違った価値・成果を世間に提供していきたい、そう言う想いです。そして、何かの導きでそういう機会を頂けたと理解しています。

また、決断の環境をよりよくする取組みとして、仲間の大切さや精神的な強さを仕事を通じて培い続けられるよう、取組むばかりです。

そして、お世話になった全ての方々への御礼は、自分が出す結果にあると理解しています。


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    昼は要求定義からインフラ構築まで担当するサーバサイド技術のSE、夜は焼酎をこよなく愛す兄ちゃんです。
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